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霊山

Nobel Prize in Literature

霊山

高行健

An experimental novel about travel, memory, myth, and personal identity.

記憶と亡命文化大革命の影言語実験個人の自由

Work Information

An experimental novel about travel, memory, myth, and personal identity.

An experimental novel about travel, memory, myth, and personal identity.

Book Information

Publisher
集英社
Published
2003-10-24
Pages
553 pages
Language
日本語
ISBN-13
9784087734003
ISBN-10
4087734005
Price
1208 JPY
Category
本/文学・評論/評論・文学研究/外国文学研究/中国文学

「霊山」を探してさすらう、癌を宣告された男の魂の彷徨。ホロメスの叙事詩に擬せられ、「東洋のオデュッセイア」と讃えられた。本書によって中国人作家初のノーベル賞となった待望の翻訳刊行!

Reviews

  • 受け取りました!

    ビニール包装でちゃんとされていて、中もきれいでした。海外までちゃんと送ってくださって、ありがとうございました。

  • 記憶を辿りながら自らのアイデンティティを見極めようと思索する書である

    本書は、中国正史に登場する黄河文明・文化大革命・その後の経済大国中国と、最近の考古学的発見によって復権されつつある長江文明・古代の奇書・山海経に代表される幻想的・民話的中国という対立軸と、その長江に建設された三峡ダムによって後者の文化と歴史が消失していこうとする時代を背景としている。(タイトルの「霊山」はこの山海経に登場する世界の中心「崑崙山」であり、従って主人公がそこにたどり着こうとしても結局は遥かな神話の世界という迷宮に入り込みそこに到達することはないのである。)このような社会の潮流に巻き込まれた著者が、記憶を辿りながら自らのアイデンティティを見極めようとするのが本書のアウトラインである。著者自身である「私」の記憶の迷宮に分け入りながらその先導役を務める「おまえ」は、あたかも唯識論における八識の一つである自己意識=末那識を擬人化したものと考えることも出来よう。「記憶の作家」としてはウラジーミル・ナボコフが挙げられる。ナボコフは過去こそが真実であり未来は空白のまやかしものと捉えるが、本書もある意味でその系譜にある作品である。ただ本書は確かに大著ではあるが敢えてその弱点を挙げれば、詳細に想起される記憶の内容が類似のものの繰り返しで、「著者の記憶にある事実」と「文学としての虚構」を統合したより高位の文学のレベルに昇華されていないと思われることである。最後の80章、81章は著者が最終的にたどり着いた死と再生についての観念であり本著作の最終的到達点であろう。取り分け81章は三島由紀夫の「豊饒の海(四)天人五衰」の最終章を思い起こさせ興味深かった。

  • 誤魔化し

    人生の意味はセックスに耽ることですか? 彼とは誰のことですか? 読者を煙に巻くだけの駄作ですが、それなりに雰囲気は醸し出されています。 エセロマンチシズム、エセ哲学的世界に浸りたい人向け。

  • ひとりの市井人の魂を描いた叙事詩

    癌を宣告された筆者が悟りを求め霊山という場所を探し中国西南地方を彷徨うものがたり。 81章からなり一人称の「わたし」と二人称の「お前」が交互に現われ、人との関わりを通じて自分の内面に深く入って行くー。 東洋のオデッセイアとも称されるが、「東洋」を外し「英雄を対象としない」ひとりの市井の人を題材にした叙事詩という方が適当だと思います。

  • おまえが乗ったのは長距離バスだった。

    舞台は、まだ文化大革命の傷跡が色濃い、中国南東部。 霊山を求めて旅を続ける、スケールの大きな、骨太の作品だ。 「おまえが乗ったのは長距離バスだった」という言葉で、物語の幕が開くのだが、さながら、作品全体が、長距離バスの様だ。 「おまえ」と「私」という二人の登場人物が交互に登場するが、二人が多くの紆余曲折を経て、段々と歩み寄ってくる。 つまり、性格の大きく異なるこの二人は、実は、同一人物である事に、途中で気付く。 それにしても、この二人が同一人物であるとは、すぐには気付かなかった。 堅実で、抑制の効いた性格である私に対して、おまえは比較的奔放で、女性と性的にも戯れるばかりだ。 「私」が肺癌の宣告を受ける下りがあるが、この部分の心理的葛藤の激しさの描写は見物だ。 本文中には書かれていないが、結節性の肺炎を、癌だと誤診したのではないかと、私は想像する。 実はこれは、レントゲンでもCTでも、一見立派な肺癌に見えるのだ。 しかし、霊山を目指すという、究極の目的は変わらない。 この目的のために、物語は迂回に迂回を重ね、その間に、自分を多様な面から見つめる事になる。 一人の人間の二つの側面が描かれ、さらに、女性との関係も相まって、多くの側面が、浮き彫りにされる。 それにしても、何と型破りな作品だろう。 ただ、作品の骨格が強固なので、緻密な心理描写と、スケールの大きさを堪能出来る。 ノーベル文学賞受賞作品と聞いて、成る程と思った。 文学の香り高い、希有の名作だ。

  • これがノーベル文学賞?

    仕事で大病を患った人の話を知ろうと思い、雑多なネットの海を検索していると本書が出てきた。 世の中広くに流布しているあらすじは「末期癌を宣告された男が中国の野山を彷徨う」と言うものだから、生きることとは、生命とはというものを残り僅かな時間の中で探すものかと思うだろう。 ところがこの流布しているあらすじが大間違いで、主人公は癌が誤診だと序盤で述懐しているのだ。 だから私の様に、命の根源を求めようとする人間の哲学を求めていた人間はここで面食らう。 紹介する側は絶対に中身を見ていない。 それだけならもう少し星が多くても良いだろうと思うだろう、まあ期待値が高かったからの残念さもあるのだが、星が少ない理由は本書が酷く読みにくい。 1小節の文章力は中々なもので、1小節を短編小説として見た時のレベルは純文学として高いとは思う。 …が、小節の繋がりが全くないのだ。 全ての小節が全く繋がりが無い場面の繰り返しで、撒いた種の刈り取りを全く行っていない。 例えば序盤で何故か唐突にパンダを探しに行く話しになったと思ったら、次はもう別の山にいて遭難をする。遭難をしてどうなるの?と思ったら、次の小節ではキング・クリムゾンよろしく別の街にいたりと。 紹介文では東洋のオデュッセイアだと言うが、オデュッセウスはちゃんと目的があるのに、神罰のせいで遭難を繰り返しているし、何故どこどこに流れ着いたかとかはちゃんと解説してくれている。 褒めた人はなんとか上手い事言って褒めたぜと思っているのだろうが、これはオデュッセイアに対して失礼過ぎる。 また日本で発行されたのは2000年なのだが、本書で展開されるのは2023年現在から遡って41年前の1982年なので、生活描写が今日の中国とは大きく異なる。世間で後進国と思われていた頃の中国の生活模様が書かれているので、そこに気付かないと違和感がいつまでもついて回るだろう。 それでも民謡でそんなに民衆が熱狂するか…?と思うが。 オマケに男尊女卑の考えが話の節々からこれでもかとにじみ出ており、まあ当時の中国からしたらこんなもんか、と思わなくもない。だが作者は西側に亡命をする程のインテリジェンスがありながら、これは女をナメすぎていると思う。 ノーベル文学賞は作品の良さよりも作品の出来た背景(他)もトータルで考慮して受賞するらしいが、こんなのが受賞していると見ると文藝の新人賞の様な政治力を強く感じざるを得ない。

  • 個人的には今年の第1位

    華人初のノーベル賞受賞の決め手になった作品、 これ以上ないくらいに直球なタイトル、 おまけに表紙は著者自筆の水墨画となると、 「霊山を求める男の魂の遍歴」を描いた 民族色たっぷりの作品を予想したくなるところだが、 その期待は間違いなく良い方向に裏切られるはずだ。 「おまえ」と「私」の二人を主人公とする別々の話が 隔章形式で語られていく手法はきわめて現代的で、 「おまえ」は旅先で出会った「彼女」との 半ば真剣な恋愛遊戯に溺れるばかりだし、 「私」はというと各地の伝説や奇譚に取材を繰り返すだけで、 「霊山」を求める旅はむしろ迂回や停滞を重ね、 決して直線状に進むことはないのだが、 大陸の住人に特有のものと言うべきか、 繊細でありながらどこか骨太な描写と相まって、 多種多様な語り口や文体が挿入されることで、 ほとんど神話から現代に至る膨大な中国史の全体が 一冊の書物の中に丸ごと描き込まれているかのような、 茫洋としたスケール感が生み出されている。 読み進めていくうちにどこかで波長が合えば、 重厚そのものとしか言いようのない読後感が得られるだろう。

  • 中国男のロマン

    中国人初のノーベル文学賞作品だ。始めから終わりまで著者の独白が貫き通してある。いわゆる「小説」として読むと、ストーリーのなさに辟易する。が、中国人著者らしく「文革」にまつわる政治的な内容が、歴史観、中国神話、宗教観を交え小話っぽく挿入してるので興味深い。 ところどころに明らかな中国女との会話らしきから、著者自身の今度は国籍を離れた個別性が浮き彫りにされてくる。これは好奇心旺盛に自惚れた皮肉屋の表現としか言えない、そんな著者の女性観が最後までうかがえつつも、これまた結局は、中国の政治的ポルノ性が含まれてあった事にびっくりしながら読めはする。しかし後半あたりに読み進むと、それまでに書いた何かしらのすべてを自らが<良い訳>して、突如、ふんぞりかえっている正直さに読者は面食らうであろう。 正直さと誠実さの違いを思い知らされ、恐ろしいくらいだ。 私は突き放された印象を受けた。するとパリに亡命したことが末文にて記されてある。なるほど、自分に正直でも他者には不実であろう。その一方で、ここまで望郷の念の強い人が、果たしてチェコからパリに亡命しフランス語で書くミラン・クンデラのごとく作家人生を歩めるのか……と思いきや、やはり作家活動はさておき水墨画で口を糊しているらしき著者なのである。それはそうだろうと納得。 なんだか中国人として始められた男のロマンに、読者は一生懸命に付き合わされた挙げ句、中途半端な姿勢のままの人間性が、作品の表紙にもなっている著者お手製の水墨画っぽい霧散に終えられた読後感であった。いわば煙に巻かれた読者の”霊山体験”であろう。

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