小説ムッソリーニ 世紀の落とし子 上
An epic historical novel that traces Mussolini’s rise through documentary material and fictional imagination. Postwar resentment, violence, newspapers, and crowd psychology converge as fascism turns into political reality.
Work Information
Through the fatigue of democracy, the language of dictatorship enters the crowd.
Layering fragments that evoke newspapers, speeches, and official reports, the novel portrays Mussolini not as a distant monster but as a political actor manipulating the language and desires of his age. The tension of moving toward a known historical outcome runs throughout.
Review Summaries
-
Readers value the documentary force and narrative drive. Its scale and political darkness demand stamina, but the book is powerful in making the rise of power feel immediate.
Book Information
- Publisher
- 河出書房新社
- Published
- 2021-08-21
- Pages
- 512 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 14 x 4 x 19.5 cm
- ISBN-13
- 9784309208343
- ISBN-10
- 4309208347
- Price
- 3135 JPY
- Category
- 本/文学・評論/文芸作品/イタリア文学
イタリアの独裁者ムッソリーニを主人公として書かれたイタリア文学史上初めての小説。 すでに国内だけで50万部のベストセラーとなり41カ国で版権売れ。ファシズムをえぐる話題の小説。
アントニオ・スクラーティ イタリアの作家。1965年生まれ。2005年に『生き残り』でカンピエッロ賞、 2015年に『われらが人生の最良の時』でヴィアレッジョ賞を受賞。2018年の 本書は4部作の第1作で世界的ベストセラーになる。 栗原俊秀 翻訳 1983年生まれ。翻訳家。京都大学総合人間学部、同大学院人間・環境学研究科を経て、 カラブリア大学文学部専門課程近代文献学コース卒業。アバーテ『偉大なる時のモザイク』で 第2回須賀敦子翻訳賞を受賞。
Reviews
-
こんなに味わい深い歴史小説が…
イタリア・ファシズムを内側から描くという切り口の斬新さはもとより、徹底した史料調査に基づくディテール描写の厚みが圧倒的であり、映像では再現不可能なレベルの鮮烈な歴史ドラマになっている。歴史小説を読む醍醐味がつまっている。翻訳も素晴らしい。
-
英訳本へのレビューのコピー
どういうわけか今年はムッソリーニ本を2冊も読んでしまった。 2冊目は、この「M: Son of the century」。これも邦訳がすでに出ている。邦題は「小説ムッソリーニ:世紀の落とし子」、上下で1000ページもの力作。誰が買うのか? 当初は読むつもりはなかった。英文で750ページ。イタリア政治というか、イタリアにはほぼ土地勘がないのだ。もとはイタリア語の作品ということで、相当な知識が前提とされることは想像できた。何気ない表現や用語の持つインプリケーションへの感受性が日本人には決定的に欠落している。 ただ英国の週刊誌 New Statesmanに「Gabriele D'Annunzio: Poet, Seducer, and Preacher of War」の著者であるLucy Hughes-Hallettが本作品の書評を書いており、彼女が勧めるのならということで、結局読むことと相成った。 さて中身はというと、とてもじゃないが素人に勧められる作品ではない。 この作品では1919年から1924年までの6年間が扱われている。このスタートラインの選択が問題含みだ。 ムッソリーニは、もとは社会主義者としてスタートしたキャリアの持ち主。第一次大戦中に、中立を固持していた社会主義者から参戦主義者へと変身を遂げている。この変節は彼のその後の政治生活に大きな影響を与えている。この1910年代にムッソリーニは社会主義者として、スイスで様々な書物(ソクラテスからレーニン、ソレル等)を渉猟し、当時のイタリア並びに欧州の現実を解釈し、社会主義者からの変身と自己形成を遂げている。彼一流の折衷主義とはいえ、この思想形成の部分が、すっぽりこの作品からは抜け落ちている。この時代への知識がない読者が、この作品を読んだ場合に直面するのはファシスト戦闘団の暴力を背後から操る権力政治の戦術家としてのムッソリーニだけなのだ。 このスタートラインの選択は著者の意識的な選択なのだろう。 自律的な思想形成としての対象として、ムッソリーニやファシズムを措定することはしない。スタートラインをたとえば1910年や1914年にしてしまうとどうしても、この変化の部分を明暗を含めて描かざるを得ない。となると社会主義とファシズムの本質的な類似性がハイライトされる。それは避けたかったのだろう。 本書では、むしろ、第一次大戦後の混沌としたイタリアの社会状況からスタートする。多数の犠牲をはらった戦勝国ながらも、得るものはあまりなかったイタリア。動員解除された多数の若者が直面したのは物質的にも精神的にも行きどころのない世界。そこでは、ロシア革命の影響を受けた社会主義者が暴力を核に大手をふるって政権転覆の機会をうかがっていたというわけだ。そうベルナルド・ベルトルッチの映画「1900年」の世界なのだ。 この左右の暴力に規定されるイタリアの固有の状況とファシズム運動内の左右の対立(原理主義者と修正主義者)を操作しながら、暴力とカリスマ的な魅力で独裁へと向かっていくプロセスがムッソリーニやその周りの取り巻きの眼を通して描かれていくのがこの作品。 叙述のスタイルは一人称ではない。あくまでも三人称の視点は維持されている。そして、叙述の骨子はすべて一次資料に支えられているようだ。それぞれの章は、せいぜい数ページ。というわけで読みやすい。ただ多数登場するムッソリーニの取り巻きについては、ナチズムほど有名ではないので、どうもそれぞれのパーソナリティいがいきいきとは浮かんでこない。 そしてイタリアを動かしていく力は、つまるところ生の私的暴力。読み続けていくのはつらい。半島の特徴なのだろうか、当時のイタリアは暴力への抵抗感が左右共に小さい。問題の解決はいつも暴力の脅威とその直接的な行使にゆだねられる。ここでは政治の本質ともいうべき「妥協」への嫌悪感が強いのだ。というより政治の妥協がというものが自己目的化し、いつも耐えられない腐敗臭をはなってきたきた風土なのだろう。政治に絶望した民衆が求めるのは、直接的な「正義」の早急な実現への希求とそれを可能ならしめている「指導者」なのだ。本書は、1925年の1月で幕を閉じられる。ここから先は、いよいよ独裁体制の完成へとつながる時代となる。 本書は、全部で4巻を予定しているということ。すでに続編ともいうべき第二巻はイタリアでは出版されている。 翻訳は、部分的に眺めた程度なのだが、思った以上に読みやすい印象を受けた。英語でわかり難い部分などを照らし合わせてみたが、大胆にきらびやかに訳されている。翻訳臭さはない。若干、用語の取り扱いについては、気になる部分もないではないが、原語で読んでいない僕に指摘する資格はない。