キュリー夫人伝
Written by Marie Curie's daughter, this biography traces Curie's life and research while also showing her as a family member and a figure shaped by her era. It creates a rounded portrait rather than a simple heroic legend.
Work Information
Marie Curie is seen in full from the perspective of her daughter.
Madame Curie is Eve Curie's biography of her mother, combining scientific history with family history in a single narrative. It conveys both the historical importance of radium research and the strength and delicacy of Curie as a person.
Review Summaries
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Readers often value its readability as a science biography and the depth added by the mother-daughter perspective. The balance between research and private life is one reason it still endures.
Book Information
- Publisher
- 白水社
- Published
- 2014-07-19
- Pages
- 542 pages
- Language
- 日本語
- Size
- 13.6 x 2.4 x 18.6 cm
- ISBN-13
- 9784560083895
- ISBN-10
- 4560083894
- Price
- 2860 JPY
- Category
- 本/ノンフィクション
「放射能」の命名者、マリー・キュリー。強い信念とたゆまぬ努力によって二度のノーベル賞に輝いた、女性科学者の比類なき生涯。没後80年、世界中で読み継がれる名著の新訳。 「大きくなったら何になる?...キュリー夫人みたいになりたい。どれだけの女の子たちがそう言ってきたことだろう。なのに、「悪魔の光線」を発見したこの破天荒な女性の、科学に仕えた無私の生涯について、わたしたちはいったい何を知っているだろうか。本書で彼女に対する敬愛はますます深まるだろう。」上野千鶴子 マリー・キュリーの生涯には、ドラマチックなできごとやめぐりあわせが数かずあったため、ひとつの伝説のように、その一生を語ってみたくなる。 その人は、女だった。他国の支配を受ける国に生まれた。貧しかった。美しかった。 大きな天分に突きうごかされるように、祖国ポーランドをはなれてパリで学んだが、待っていたのは何年もの孤独と困難の月日だった。 しかしやがて、彼女と同じくらい才能あふれる男性に出会う。そして結婚した。ふたりの幸せは、比類ない次元のものだった。 心血を注ぎ、不毛にも思える努力を重ねて、キュリー夫妻マリーとピエールは、魔法のように不思議な物質ラジウムを発見した。この発見は、新たな科学と哲学を生みだしただけでなく、人類に、おそろしい病気を治療する手立ても与えたのである。(「はじめに」より)
マリー・キュリー Marie Curie (1867-1934) ポーランド名、マリア・スクウォドフスカ。物理学教授の父と女学校の校長を務める母のあいだの5人兄弟の末っ子として、当時ロシア領だったワルシャワに生まれる。中等学校を優秀な成績で卒業、住み込みの家庭教師などを経て、1891年、物理学と数学を学ぶためパリに渡る。そこでフランス人科学者ピエール・キュリーと出会い、結婚。共同で研究を開始する。ベクレルが発見した放射現象の研究を押し進め(放射能という命名はキュリー夫人による)、放射性元素ポロニウム、ついでラジウムを発見。その後も、寝食を忘れて研究に打ち込み、気の遠くなるような実験の末、ついに新元素ラジウムの単離(分離精製)に成功。1903年、ベクレルと夫ピエールとともに「放射線の研究」でノーベル物理学賞を受賞。夫を不慮の事故で亡くした後は、その後任としてソルボンヌの教授となる(パリ大学初の女性教授)。1911年には単独でノーベル化学賞を受賞。ラジウム研究所所長として後進の指導にもあたる。1934年、長年にわたる放射能実験のため再生不良性貧血で死去。 著者:エーヴ・キュリー Ève Denise Curie Labouisse (1904-2007) ジャーナリスト、ピアニスト。科学者ピエール・キュリーとマリー・キュリーの次女としてパリに生まれる。姉はノーベル化学賞を受賞したイレーヌ・ジョリオ=キュリー。1938年、母マリー・キュリーの伝記である本書を上梓し、世界中で翻訳された。後半生はアメリカに移住。NATOの国際スタッフとして働き、やがてユニセフの事務局長ヘンリー・リチャードソン・ラブイスと結婚。2007年、ニューヨークの自宅で静かに息を引きとる。享年102歳。 訳者:河野 万里子(こうの まりこ) 1959年生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。国際翻訳賞新人賞受賞(1993年)。主要訳書:F・サガン『悲しみよこんにちは』『愛は束縛』、サン=テグジュペリ『星の王子さま』、D・ウィリアムス『自閉症だったわたしへ』(以上、新潮社)、コレット『青い麦』(光文社)、L・セプルベダ『カモメに飛ぶことを教えた猫』、K・W・ホルト『ルイジアナの青い空』、J=L・フルニエ『どこ行くの、パパ?』(以上、白水社)。その他、絵本の翻訳多数。
Reviews
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装丁もよく読みやすい名著
とかく名著と言われると装丁がしっかりした表紙で文章もかたく読みにくいが、この新装版は携帯しても読めるし文章もリズム感がある。ただ手紙の印刷が少し薄いので読みにくいところはあった。内容については素晴らしい本であった。以前より読みたいと思っていてもなかなかチャンスがなかった。志ある青年に向かって読みなさいと推薦される本には違いないが、彼女の生きた年よりも多くなった私のような老年が、人生の生き方をしみじみと教えられ元気づけられる内容であった。久々に良い本に巡り合えた。
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女性の素晴らしさを再認識する書
妻として、母として、主婦としてそして世界的な物理学者としてのキュリー夫人の生き様をてにとるように理解できる素晴らしい書である。特にフランスの学会や大学での当時の女性差別をものともせずに自分の信念を貫いて死の直前まで実験を続けたこと、家庭生活や2人の娘のしつけや教育にまったく手を抜かなかったことなど驚嘆に値する。 われわれ凡人はノーベル賞をもらうほどの実力や実績はまったくないが、人間としてすべきことを時間に有効に使って追究することは可能なはずなので、残された人生を更に有効に過ごしていきたい。
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美しい生き方
著者エーヴはキュリー夫人の次女だが、完全理系だった両親、そして姉とは異なり、科学よりも音楽や文学に関心を示し、コンサート・ピアニストとしても活躍したという。本書は、その文系的才能がいかんなく発揮され、素晴らしい文章と構成で「名作」の呼び声に恥じない作品となっている。 本書はキュリー夫人の誕生からその死までを時系列で丹念にたどった、ぼくの好きな正統派の伝記である。貧しいポーランドの少女から世界的な著名人へと登りつめていくキュリー夫人の一生は、印象的なエピソードに満ちており、巻措くあたわらざる面白さに満ちている。 著者は本書において、自分のことを一人称ではなく三人称で呼ぶなど、第三者的な立場を貫き、妙な感情移入を排そうとしている。とはいえ、時折(たとえば、父親の死の場面や、名声を得た後の母親の苦悩の場面など)娘としての感情がほとばしり出る個所もあって、それもかえって好感が持てる。 優れた伝記に共通することだが、いいとこどりばかりしたのっぺりした話(子ども向けの伝記を想像していただきたい)にはなっておらず、キュリー夫人の喜びも悲しみも、栄光も苦悩も、長所も欠点も描いて、厚みのある内容になっている。ただ、娘という立場からだろう、両親の「悪い」点については若干筆が控えめのような気がするのは凡人の僻目だろうか。 本書を読んで最も感動するのはキュリー夫妻が無私無欲で自分より科学の進歩を優先させたこと。たとえば、ノーベル賞につながるラジウムの精製方法を発見したとき、特許を取れば将来莫大な富が約束されていたのに、キュリー夫妻はこう言ってその道を選ばなかった。 「科学者はつねに自分の研究をすべて発表するものよ。(中略)(科学の成果)から利益を引き出すなんてとんでもないことに思える」 「そうだね。そんなこと、科学の精神に反するね」 そして、本書で初めて知って驚いたことだが、キュリー夫人の貢献は科学上のものにとどまらず、第一次世界大戦中命を賭けた八面六臂の活躍をしているのだ。放射線が大量の傷病者をすくことができると判断した夫人は、私財を投げ打って放射線治療車を20台作り、それを各地に派遣したばかりでなく、自らも治療車を運転して戦地に赴き、傷病者たちの手当てに力を尽くしたのである。こうして合計で100万人以上の兵士を救ったという。まるでナイチンゲールを思わせる活躍である。 こうして私財をほとんど失い、研究に必要なラジウム1グラムが買えなくなったキュリー夫人に手を差し伸べたのがフランス本国ではなくアメリカだったというのも印象的なエピソードである。夫人を敬愛するアメリカの出版人メロニー夫人が全米キャンペーンを行って、ラジウム1グラム分の代価十万ドル(現在の90万ドルに相当)を募金で集め、それを夫人に贈呈したのだ。その贈呈の舞台がホワイトハウス、贈呈者が時の大統領ハーディングというのもドラマチックである。 こうした底抜けの好意と行動力を見ると、アメリカはやはりすごい国だなと見直したくなる。ときとしてその「好意」と「行動力」が誤った方向に向けられるのが残念だが。 この本を読んで最も心打たれたのは人びとの生き方の美しさだ。キュリー夫妻はもちろん、夫妻の娘たち、キュリー夫人の親兄弟・親戚、ピエール・キュリーの親兄弟・親戚、そして周囲の人たち、その誰もが美しく生きている。私利私欲に乏しく、他人に対する心からの思いやりがあり、貧しい中に幸せを見つけている。それをひと言で表せば「清貧」ということだろう。現代の私たちが見習わなければならない生き方がそこにはある。 「いまさらキュリー夫人なんて」と言う人にもお勧めしたい傑作である。
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若いひとにすすめたい伝記の名著
キュリー夫妻にはふたりの娘がいた。上の娘イレーヌは母と同じ放射線科学者の道を歩み、フレデリック・ジョリオと結婚して、1935年、ともにノーベル化学賞を受賞した。下の娘エーヴ・キュリーはピアニスト・作家となって、名著『キュリー夫人伝』を書いた。 本書はとくに若いひとびとにすすめたい。若き日々に読んでおけば、何ものにもかえがたい魂の収穫が得られるからである。職業の選択だけでない。その後の「人生の質」というべきか、生きることそれ自体に劇的な変化がもたらされるからである。 いくつかの記述はまるで映画のなかの情景を観ているかのように、今もこころにふかくあざやかに刻まれている。 本書「キュリー夫人伝」を読むのに合わせて、写真や図版の多い下記の読み物をおすすめしたい。 Vicki Cobb, Marie Curie: A photographic story of a life. DK Publishing, 2008.
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現代を生きる私たちに多くのものを問いかける良書
ラジウムの発見とその生化学解析でノーベル物理学賞と化学賞を受賞し、キュリー夫人として有名なマリー・キュリーの生い立ちから生涯の幕を閉じるまでを綴った、実の娘の手によって書かれた自伝。 幼少時からの苦学する姿は広く知られていたが、科学研究を天職とするに至るまでの、紆余曲折の人生の中に、家族を愛し、名誉や金銭的栄達からは一線を画しながら、世間にひっそりと暮らそうとした彼女の姿が等身大にくっきりと浮かび上がる。勤勉と質素を絵に描いたような生活の中で優しく、そしてたくましく生きる一人の人間像は現代を生きる私たちに多くのものを問いかけている様に思う。
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新訳版はいまひとつ、古書を求められよ
ちょっと辛い採点をあえてしました。図書館にて旧約版の品格ある文体を何度も落涙しながら読んだあとで、知らずに新訳を購入しました。旧訳のやや古い文体の品格がこの名著には不可欠だったと痛感いたしました。流れるようなリズムも停滞しています。これがなんでもない著作であったら、ほとんど気にならないように思いますが、この比類なき人生の最も詩的な記録としては、訳者はもっともっと慎重になるべきであったと思います。その覚悟が十分でないままに、仕事がやや安易に進められたと想像します。後書きを見ても、訳者の理解と共感はまだ半端な段階に留まっています。旧訳に対して何をどういう考えで変えたのか、なによりその説明もなく、訳者としての責任感がやや希薄にも思います。これは出版社の責任も重大です。名著の新訳というのはもっと慎重であるべきです。旧訳をよく吟味し、具体的に何をどう改善するか、特に名著であればその方針決定には深い見識と深慮が求められる。その上で適任の訳者を選ぶべきです。そういった方針がなにより明快であることが肝要です。結果は結局嗜好の問題かも知れない。どこにも方針が書かれていないことがなにより問題です。科学者の堕落や腐敗が社会を蝕んでいる昨今、この物語が問いかける普遍性は今一度省みるべきものと思えてなりません。その文化遺産の日本訳の質が安易に低下したことは残念です。もちろん河野さんの訳が優れている部分もあります。旧訳にも変な訳語(たとえば冒頭近くの「被圧迫国民」)とあまりに硬直した文章も見られます。一度原文を見てみますが、私はきっとこの作品には詩的な要素があり、文語的なリズム感が不可欠なのだと思う。
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良い
良い
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この期間が私に与えてくれた幸福は筆にも口にも尽くせぬほど大きなものでした
この期間が私に与えてくれた幸福は筆にも口にも尽くせぬほど大きなものでした。私はあらゆる雑用から解放され、学問に全身全霊を打ち込むことができました。未知の事柄を学ぶたびに喜びが胸に溢れる思いでした。 ――マりー・キュリー マリー・キュリーが、屋根裏部屋で学んだ若き日々について、『自伝』でこのように語っている。さらに、「友だちもないまま、パリという大都会の片隅にひっそりと暮らしていたわけですが、頼りにする人も援助してくれる人もないことを悲しく思ったことはただの一度もありません。時に孤独の思いにふけることはあっても、私の日常的気分は、安らかな安息、それに完全な道徳的満足のそれでした」と続く。彼女のものを学ぶ喜びがストレートに伝わってくる。 マリー・キュリーの次女、エーヴ・キュリーが著した『キュリー夫人伝』(エーヴ・キュリー著、河野万里子訳、白水社)では、このように描かれている――かぎりない愛情を感じていたときにも、華ばなしい成功と栄誉につつまれていたときにも、永遠の学徒であった彼女は、貧しさのなか、全力でむかっていったこの情熱的な努力の日々ほど、満たされていたことは、いや、誇りに思っていたことは、なかったのである。彼女はその貧しさを、誇りに思っていた。外国の街で、だれにもたよらずひとりで生きていることを、誇りに思っていた。夜、みすぼらしい住まいで、ランプの明かりをつけて勉強していると、まだ取るに足りない自分の運命が、尊敬してやまない偉大な人びとと、ひそかにひとつになっていくように感じられた。 夫、ピエール・キュリー死後の一時期、ピエールの教え子で、5歳年下のポール・ランジュヴァンとマリーとの間に生まれた愛については、この本では、あっさりと暗示的にしか触れられていないのは、娘の立場では仕方ないだろう。