世界・海外・国外の文学賞

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オスカー・レーアケ

オスカー・レーアケ

Oskar Loerke

プロフィール

性別
男性
生誕
1884-03-13 (ジュンゲン(Wiąg、シュヴィェーチ付近、旧西プロイセン))
死没
1941-02-24 (フロンハウ(ベルリン)) 56歳
国籍
ドイツ
言語
ドイツ語
居住地歴
ジュンゲン(生地) → ベルリン(主な活動拠点、フロンハウ在住) → イタリア(旅行) → アルジェ(旅行)

経歴

職業
詩人, 散文作家, 文芸評論家, エッセイスト, 編集者
活動期間
1907年〜1941年
所属
S. Fischer Verlag(編集者), プロイセン芸術アカデミー(会員、詩の部門書記), Donnerstags-Gesellschaft(木曜会、メンバー)
所属団体
プロイセン芸術アカデミー, Donnerstags-Gesellschaft(木曜会)
影響を受けた人物
ヨハン・セバスティアン・バッハ(音楽的影響), マックス・ヘルマン=ナイセ, ヴァルター・ライナー, 表現主義(文学的潮流)
影響を与えた人物
ヘルマン・カザック(遺稿の刊行などで関係), 自然詩や『自然魔術派』の後続詩人たち

学歴

ベルリン(大学で歴史・ドイツ語・哲学・音楽を学ぶ)
歴史・ドイツ文学・哲学・音楽
期間: 1903–1906
国: ドイツ
1906年に中退

受賞歴

クライスト賞
1913
主催: クライスト賞委員会
結果: 受賞

受賞・候補エディション

作品

代表作

Wanderschaft (散歩の旅)(収録:Blauer Abend in Berlin)

1911年

初期の詩集で、都市や自然を題材にした詩を含む。代表作の一つ「Blauer Abend in Berlin」を収録。

自然都市感覚経験

Gedichte / Pansmusik

1916年

音楽的要素と厳格な形式を併せ持つ詩集。1929年に改題版が出る。

音楽性形式性神話的イメージ

Der Silberdistelwald

1934年

1930年代の代表的詩集の一つ。自然と魔術的な感覚を結び付けた「自然魔術派」の傑作とされる。

自然魔術性神話

Der Wald der Welt

1936年

世界と自然の相互関係を詩的に探求する作品集。内的亡命を象徴するテーマが含まれる。

自然世界観内的亡命

Der Steinpfad

1941年

1938年に写本で少数刊行され、1941年に正式出版された詩集。レーアケ晩年の重要作。

老年自然回想

全著作

  • Wanderschaft(1911)
  • Gedichte(1916、改版1929:Pansmusik)
  • Die heimliche Stadt(1921)
  • Der längste Tag(1926)
  • Atem der Erde. Sieben Gedichtkreise(1930)
  • Der Silberdistelwald(1934)
  • Der Wald der Welt(1936)
  • Magische Verse(1938、編:ピーター・ズールカンプ)
  • Kärntner Sommer(1939、写本少数刊行)
  • Der Steinpfad(1941)
  • Die Abschiedshand(1949、遺稿集)
  • 短編:Vineta(1907)、Franz Pfinz(1909)ほか
  • 文芸論:Wandlungen eines Gedankens über die Musik und ihren Gegenstand(1922)ほか

作風・主題

文体
形式的に厳格な詩律強烈なイメージ性音楽性の高い表現神話的・象徴的言語
頻出モチーフ
森と木々鳥や自然の生き物魔術的・神話的要素音楽と楽器の比喩

健康

  • 心不全
    1941(死因)
    1941年の心不全により死去。創作活動はその年に終わった。

評価・遺産

オスカー・レーアケは、厳格な形式と音楽性、神話的イメージを結びつけた自然詩で知られる。『自然魔術派』の代表的詩人であり、内的亡命を象徴する作家としてドイツ文学に位置づけられる。戦後は友人ヘルマン・カザックらによって遺稿が刊行され評価が続いた。近年は墓所の名誉墓指定をめぐる論争も注目された。

記念館・博物館

  • シラー国立博物館(マルバッハ) マルバッハ・アン・デア・ネッカー

関連学会

  • プロイセン芸術アカデミー

資料所蔵先

  • ドイツ文学アーカイブ(マルバッハ)所蔵資料

大衆文化への影響

  • ベルリンの名誉墓(Ehrengrab)に関する議論と報道

豆知識

  • 1913年にクライスト賞を受賞し、その資金でイタリアやアルジェを旅行した。
  • 1933年にナチス反対の立場だったが、出版社サミュエル・フォン・フィッシャーを守るためとされ、同年ヒトラーへの忠誠誓約書に署名した。
  • プロイセン芸術アカデミーから一時追放されたが、その後復帰した経緯がある。
  • 1941年にフロンハウで心不全により没し、墓は長らくベルリンの名誉墓に指定されていた。2021年に議論の末、維持が延長された。