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バートルビーと仲間たち

FIL文学賞(ロマンス諸語)

バートルビーと仲間たち

エンリケ・ビラ=マタス

書くことを拒む作家たちの系譜をたどるメタフィクション。文学史の参照を重ねながら、創作衝動そのものを問い直す代表作。

メタフィクション書くこと文学論実験的小説

作品情報

「書かない作家たち」をめぐる文学小説。

バートルビー症候群を手がかりに、書くことと沈黙の関係をたどる異色の文学小説。日本語版と英語版の両方が確認できる。

書籍情報

出版社
新潮社
発売日
2008-02-27
ページ数
223ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784105057718
ISBN-10
4105057715
価格
1804 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/評論・文学研究/外国文学研究/スペイン・ポルトガル文学

ソクラテス、ランボー、サリンジャー、ボルヘス……。書けない症候群に陥った作家たちの謎の時間を探り、書くことの秘密を見いだす、異色世界文学史小説。

レビュー

  • 突然われわれの記憶によみがえってくる生活の断片2008年邦訳2000年作

    ・・・この表紙はずいぶん昔に本屋で見かけており、とくに何も感じなかった。(それでも記憶に残っていたわけだ) きのう古本屋でこれを見かけ、ふと冒頭を立ち読みし、「あ、これや・・・・」と思い、1010円購入。 いやはや驚いた。これほどの天才の存在と価値を知らずに数十年も生きることが可能なんだなあ・・・と。←まわりくどい。 さ、では、この本のいっちゃん美味しいところを抜こう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー p33 少し前にプリモ・レヴィの「休戦」を読んだが、その中で作者は 収容所で一緒だった人たち、この本がなければわれわれが出会うことのなかった人たちのことを描いている。彼らはみんな家に帰りたがったとレヴィは書いている。 彼らは単に自己保存の本能だけでなく、自分たちが見たことを語り伝えたいという気持ちも持ち、生き延びたいと思っていた。 自分たちの経験を伝えることで、二度とあんなことがくり返されないようにしたいと願っていたんだが、理由はそれだけではない。 あの悲劇的な日々が忘却の淵に沈んでしまわないように、語り伝えたいと思っていたのだ。 われわれは誰もが、どれほど恥ずべき・苦痛に満ちたものであっても、突然われわれの記憶によみがえってくる生活の断片をすくいあげたいと思っている。 そして、そのためには言葉にして書き残すしかない。 いくら否定しようとしても、文学は、日ごとに不道徳になってゆく現代人の目がどこまでも無関心になり見過ごそうとするものを忘却の淵からすくいあげる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー エンリーケ・ビラ=マタス Vila-Matas,Enrique 1948年、スペイン、バルセローナに生まれる。大学生の頃から雑誌の編集に携わり、映画評論を執筆。映画の制作にも関わる。1984年に発表した『詐欺』で小説家として知られるようになり、1985年に芸術家たちの秘密結社を描いた『ポータブル文学小史』で一躍脚光を浴びる。以後着実に作品を発表して、本国はもとよりフランス、イタリアなどの様々な文学賞を受賞。『バートルビーと仲間たち』も出版直後から大きな反響を呼び、フランスの「外国最優秀作品賞」などを受賞した。作品は発表後すぐに数多くの外国語に翻訳される。現在もっとも熱い注目を集めているスペインの作家。

  • 買いです。

    本作は、「わたしは女性には縁がなかった。」と語る主人公が、メルヴィルの「代書人バートルビー」に由来する、「心の奥深いところで世界を否定している」「バートルビー族」の作家たちの「足跡」をたどるという体裁を取ってはいますが、あまりにもその「足跡」の、全体に占める割合が大きいため、いつの間にかいわゆる「小説」を読んでいるというよりも、文学論かなにかを読んでいるような気持ちにさせられます。しかし、二十五年間創作から遠ざかり、「ぞっとするような事務所で働いている」主人公が、鬱病を口実に仕事をサボったり、「一度詩人の声を聞きたいと思って大勢の聴衆の中にもぐりこんだ」り、「クラスメートのルイス・フェリーペ・ピネーダ」のことを回想したりした挙げ句、事務所を「首になった」りする様は、「バートルビー族」の作家たちと軌を一にしていることが明らかであり、自らを肯定し正当化するためだけに「バートルビー族」なる概念を措定し、その系譜を作っていると読むと、そこから浮かび上がってくる人間像は、ひどく屈折した赤瀬川原平(「トマソン」とか「老人力」とかです)といった趣きで、結構楽しむことができます。考えてみれば、いわゆる「小説」が他者との関わりを通して話を転がしていくのに対して、本作ではそれが「先行するテキスト」になっただけで、やはりこれも小説なんですよね。ただまぁ、映画化は絶対に無理だとは思いますが。

  • 知らない名前が多くて不勉強を痛感

    ヴァルザーやカフカ、ボルヘスといった日本でも有名な作家しか知らない私の寡聞もあるのかもしれないが、この本に登場するあまたの「ノーの作家」たちとバートルビーが、なかなか「仲間」になってくれない。 上役の指示をことごとく拒絶する筆耕バートルビーが控えめに言う "I would prefer not to" は、ついにはみずからの生命の維持さえも拒絶する無条件の「ノー」であり、否定の作家たちのような、書けない、書きたくない、といった個人的事情を超越している。 ただ、最後のページで紹介されているトルストイのエピソードが、バートルビーの死に方と奇妙に重なる。

  • おもしろいけど、バートルビーは「仲間」を認めない・・・

    本書を手に取ったとき、なぜか「やられた!」と思ってしまった。 ハーマン・メルヴィルの異形の短編『バートルビー』こそ、現在の評者のヒーローだったからだ。『バートルビー』に比べれば、カフカのグレーゴル・ザムザの物語も筋が通っている。 ソクラテスは書物を残さなかった、ランボーは詩を捨てて放浪の旅へ出た、サリンジャーはひきこもった、ヴァレリーは数学の勉強に専念し、カフカは手稿に書き付けた作品を焼いてくれといって昇天した・・・・。 途絶、中断、沈黙、引きこもり。これらのマイナス方向への斥力とでもいうのか、上昇志向と一人勝ちを旗印に、ひたすら自己啓発に励むビジネス文明を称揚する現代にとっての大いなる斥力。異形の存在。 代書屋バートルビー「自身」と「バートルビー・シンドローム」の物書きたちとは、それぞれが随分と異なっているようにも思うが、バートルビーのことを、あるいは書けなくなって沈黙した詩人、逃げ出した作家、雲隠れした元作家たちのことを記憶に刻むためだけにでも本書の価値はある。 トム・ルッツの『働かない』(青土社)という本もついでに挙げておこう。これは「働いてられるか」シンドロームの博物学的怪著だ!!! まあ、バートルビー問題などといってみても、バートルビーは批評家の説明を拒む存在なのだが。アガンベンの『バートルビー』をネタにした文章「偶然性について」の陳腐なこと!!! <働かないのに事務所に居続ける青年バートルビー>について、「<する>ことも<しない>こともできる潜勢力」などといっても、何もわかりはしない。 事務所勤めというものは、会社というものが「発明」されて以来、あるいはもっと早く官僚組織というものができて以来のものだろうが、なるほど官僚組織も会社も西洋由来なのかもしれない。とはいえ、アメリカ作家メルヴィルの作品に「忽然と現れた奇妙な」青年バートルビーは、西洋哲学由来の思考では解けない。勿論、東洋哲学でも解けないだろう。 バートルビーこそ解釈を拒むものだからだ。在るがまま、在り得たまま。本来、効率的であることをその存在目的とする会社のなかに、バートルビーが在ったとき、哲学は、特に西洋哲学はただ右往左往するしかないのではないか。なぜなら、西洋哲学の筋道は「在る」を中心に世界をことごとく解明しようとするものだからだ(木田元の新著に倣うなら、「反哲学」の系統が参上してきて、プラトン、デカルト、ヘーゲルの悪しき合理主義を廃棄するということになるのだろうが、これまた疑わしい)。 バートルビーは無力だが、そしてそれは極めて現代的だが、あらゆる解釈を拒み続ける。 そうすると、バートルビーシンドロームという西洋由来のレッテルも無効力というべきか。 この点、バートルビーとエンリーケ・ビラ=マタスの『バートルビーと仲間たち』に登場する仲間達は決してお仲間ではない。バートルビーは言うだろう。「できれば、仲間にならないほうがいいのですが」と。

  • だからどうした...?

    「文字を書いている限り、あなたに絶望はできない」 といったのは開高健だったけれど、そうなのだ。 文学に絶望とか暗黒とかいうのはありえない。 文字を媒介にして人間にくっつこうとしているから。 そもそも書くことに意味はあるのか、すべては書かれてしまっているのではないかとか考えること自体ナンセンス。 バートルビー症候群だかなんだかしらないけど、読んでいて「だからどうしたっていうんだ?」っていいたくなるような個人的なことが長々と綴られている。 でもメルヴィルの「バートルビー」は嫌いじゃないです。

  • 同業者だけが興奮する作品

    感極まって興奮しているレビューの人もいるようだし、 フランス「外国最優秀作品賞」も受賞してるし、 同じ感動を持つ人ばかりではないのが本という物なのでレビューを短く書きます。 書けなくなった作家たちの言い訳から書くことの意義を見出すのは、同じ同業者だけだ。 読書を愉しみたい純粋な読者にとってみれば、全くお勧め出来ない。

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