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第1回(1993年) 受賞
テオドル・パルニツキ
テオドル・パルニツキ
Teodor Parnicki
プロフィール
- 性別
- 男性
- 生誕
- 1908-03-05 (ベルリン)
- 死没
- 1988-12-05 (ワルシャワ) 80歳
- 国籍
- ポーランド
- 言語
- ポーランド語, ロシア語, ドイツ語
- 宗教
- ユダヤ系(母方)
- 居住地歴
- ベルリン(出生) → モスクワ(幼年期) → ウファ(短期間) → オムスク(士官学校) → ウラジオストク(士官学校) → ハルビン(少年期〜学業) → リヴィウ(大学、Lwów) → キュイビシェフ(クイビシェフ、文化公使) → テヘラン(避難・滞在) → エルサレム(滞在) → メキシコシティ(長期滞在) → ワルシャワ(1967年以降)
経歴
- 職業
- 小説家, 作家, 大学講師, 文化公使(外交)
- 活動期間
- 1929年〜1988年
学歴
| 学校 | 学部 | 学科 | 学位 | 期間 | 国 |
|---|---|---|---|---|---|
| リヴィウ大学(Lwów University) | 文学部(ポーランド文学) | ポーランド文学科 | — | 1920年代後半–1930年頃 | ポーランド |
リヴィウ大学(Lwów University)
文学部(ポーランド文学)
/ ポーランド文学科
期間:
1920年代後半–1930年頃
卒業年:
1930
国:
ポーランド
ユリウシュ・クライネル教授に師事し、のちに中国語やロシア文学の講義も行った。
受賞歴
| 年 | 賞名 | 対象作品 | 部門 | 主催 | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1936 | 奨学金 | 『Aecjusz, ostatni Rzymianin』 | — | — | 受給 |
奨学金
1936
対象作品:
『Aecjusz, ostatni Rzymianin』
結果:
受給
受賞・候補エディション
作品
代表作
『三時三分後 (Trzy minuty po trzeciej)』
1929年 小説初期の長編。執筆初期の実験的作品とされる。
若年期の探求自己形成
『アエキウス、最後のローマ人 (Aecjusz, ostatni Rzymianin)』
1936年 歴史小説5世紀末のローマ世界を題材にした歴史小説。著者の代表作の一つで、1936年の奨学金獲得につながった。
ローマ帝国の衰退戦争と政治個人の運命
『月の顔(トヴァルツ・キシェンツァ) - Tom I–III (Twarz księżyca)』
1961年 歴史小説(ビザンティン背景)古代から中世にかけての出来事を背景にした三部作。ビザンティン帝国を舞台に文化・政治・個人史を織り交ぜる。
ビザンティン帝国東西文化の交差歴史と個人
『最後の小説(Ostatnia powieść)』
2003年 小説(遺作、四巻構成)亡くなる直前に未完だった四巻構成の大作。2003年に全巻が整理・出版された。
歴史的大河記憶と宿命
全著作
- 『三時三分後 (Trzy minuty po trzeciej)』
- 『ジュリアン伯と王ロデリク (Hrabia Julian i król Roderyk)』
- 『アエキウス、最後のローマ人 (Aecjusz, ostatni Rzymianin)』
- 『銀の鷲 (Srebrne orły)』
- 『月の顔(Twarz księżyca)』
- 『殺せ、クレオパトラ (Zabij Kleopatrę)』
- 『最後の小説 (Ostatnia powieść)』
作風・主題
- 文体
- 歴史考証を重視した綿密な描写学術的な知識に裏打ちされた語り口史実と想像を織り交ぜる叙述
- 頻出モチーフ
- 帝国の興亡東西文化の交錯個人と歴史の緊張関係亡命と帰還
評価・遺産
テオドル・パルニツキはポーランドの歴史小説家として、主に古代後期から中世にかけての地中海世界やビザンティンを題材にした大作群で知られる。豊富な語学力と史学的関心を背景に、ポーランド文学における歴史叙述の重要な一翼を担った。
豆知識
- 父はポーランド人、母はポーランド系ユダヤ人としてベルリンで生まれた。
- 幼年期はロシア(モスクワ、ウファ)や満州(ハルビン)で過ごし、12歳で士官学校から脱走してハルビンに到達した。
- 1936年の奨学金によりブルガリア、トルコ、ギリシャで研究を行った。
- 1940年代初頭、ソ連占領下のリヴィウでNKVDに拘束され、収容所(グラーグ)送りとなったが、1941年のシコルスキ=マイスキ協定後に解放された。
- 解放後はアンデルス将軍のポーランド軍に参加し、文化公使としてキュイビシェフやメキシコで勤務した。
- 1967年にポーランドへ帰国し、ワルシャワに定住した。
- 1988年に没し、未完だった四巻の大作は遺稿整理のうえ2003年に『最後の小説』として刊行された。