世界・海外・国外の文学賞

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ヴィクトル・アルバ

ヴィクトル・アルバ

Víctor Alba

別名: Pere Pagès i Elies / Pere Pagès
ペンネーム: ペレ・パジェス・イ・エリエス出生名・カタルーニャ語名として使用

プロフィール

性別
男性
生誕
1916-01-01 (バルセロナ)
死没
2003-03-10 (サン・ペレ・デ・リベス) 87歳
国籍
スペイン
言語
カタルーニャ語, スペイン語, 英語, フランス語
居住地歴
バルセロナ(出生・青年期) → フランス(亡命・一時滞在) → メキシコシティ(亡命・執筆活動) → アメリカ合衆国(カンザス大学、ケント州立大学勤務) → スペイン・カタルーニャ(晩年帰国)

経歴

職業
政治家, ジャーナリスト, 作家, 大学教授, 歴史研究者
活動期間
1934年〜2003年
所属
ボク(Bloque Obrero y Campesino), 労働者と統一農民党(POUM), カンザス大学(教員), ケント州立大学(教員)
影響を受けた人物
アルベール・カミュ, カタルーニャ左派・POUMの思想
影響を与えた人物
スペインの労働運動史研究

学歴

バルセロナ大学
法学部
国: スペイン
若年期に法学を学んだが、正確な卒業年は不明

受賞歴

プレミオ・プラネタ(最終候補)
1975
対象作品: 『アフリカの鳥』
主催: プラネタ社(Editorial Planeta)
結果: 最終候補

受賞・候補エディション

作品

代表作

『生存者たち(Els supervivents)』

1950年 小説(戦後バルセロナを描く)

戦後のバルセロナを舞台にした長編小説。亡命・抑圧と市民の生活を描く。

戦後社会亡命抑圧と抵抗

『ラテンアメリカの共産主義の歴史』

1953年 歴史・政治学

ラテンアメリカにおける共産主義運動の起源と展開を概説した研究書。

共産主義ラテンアメリカ政治

『ザ・ラティン・アメリカンズ(The Latin Americans)』

1969年 ノンフィクション/地域研究

ラテンアメリカの社会構造や政治を広く解説した英語での著作。

地域研究政治分析

『カタロニア・プロファイル(Catalonia. A Profile)』

1975年 ノンフィクション/地域研究

カタルーニャの歴史と現代的課題を紹介する概説書(英語)。

地域史文化と政治

『アフリカの鳥(El pájaro africano)』

1975年 小説

1975年のプラネタ賞最終候補となった小説。テーマは部分的に亡命と政治的記憶を含む。

亡命記憶政治的対立

『シーシュポスとその時代(Sísifo y su tiempo)』

1996年 回想録

自身の人生と時代に関する回想録。政治活動や亡命生活、ジャーナリズムについて述べる。

回想政治史亡命

全著作

  • 『Els supervivents』 (1950)
  • 『Historia del comunismo en América Latina』 (1953)
  • 『Mexicanos Para La Historia』 (1955)
  • 『The Latin Americans』 (1969)
  • 『Retorn a Catalunya』 (1970)
  • 『Catalunya sense cap ni peus』 (1971)
  • 『Homo sapiens catalanibus』 (1974)
  • 『El pájaro africano』 (1975)
  • 『Historia de la resistencia antifranquista, 1939–1955』 (1978)
  • 『Sísifo y su tiempo』 (1996)

作風・主題

文体
ジャーナリズム的で読みやすい文体分析的・史料に基づく記述多言語での執筆(スペイン語、カタルーニャ語、フランス語、英語)
頻出モチーフ
労働運動と左派政治反スターリニズムの視点亡命と記憶カタルーニャのアイデンティティ

評価・遺産

ヴィクトル・アルバはスペインの反スターリニスト左派を代表する知識人の一人であり、ジャーナリズムと歴史研究を通じて労働運動やラテンアメリカ政治について多くの著作を残した。亡命生活と学究的活動を通じて国際的な評価を得たが、出典不足の指摘もある。

豆知識

  • スペイン内戦期にPOUM の機関紙『La Batalla』の編集を務めた経験がある。
  • バレンシアで6年間投獄された経験がある。
  • メキシコで多言語(スペイン語・カタルーニャ語・フランス語・英語)で執筆活動を行った。
  • カンザス大学およびケント州立大学で教鞭を執った。
  • 1975年に『El pájaro africano』でプラネタ賞の最終候補になった。