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ヴォルフディートリッヒ・シュヌッレ

ヴォルフディートリッヒ・シュヌッレ

Wolfdietrich Schnurre

プロフィール

性別
男性
生誕
1920-08-22 (フランクフルト・アム・マイン)
死没
1989-06-09 (キール) 68歳
国籍
ドイツ
言語
ドイツ語
居住地歴
フランクフルト(オーバーラート、エッシャースハイム) → ベルリン=ヴァイスゼーゼ → 東ベルリン(1946頃) → 西ベルリン(1948以降) → フェルデ(Felde)(1980年代) → キール(死没)

経歴

職業
作家, 短編作家, 批評家(初期)
活動期間
1946年〜1989年
所属
Gruppe 47(創設メンバー), International PEN(1970年代以前に加盟、1961年に脱退)
所属団体
Gruppe 47(創設メンバー), International PEN(1958加入、1961脱退)

受賞歴

イマーマン賞
1959
主催: デュッセルドルフ/関連団体
結果: 受賞
ゲオルク・マルケンセン文学賞
1962
主催: Georg Marckensen 財団(名称表記は資料により異なる)
結果: 受賞
連邦功労勲章(ブンデスフェアディエンストクロイツ)
1981
主催: ドイツ連邦共和国
結果: 受章
ケルン市文学賞
1982
主催: ケルン市
結果: 受賞
ゲオルク・ビューシェ賞
1983
主催: ドイツ文学アカデミー等(授賞団体)
結果: 受賞
キール市文化賞
1989
主催: キール市
結果: 受賞

受賞・候補エディション

  1. 受賞作: 短篇・随筆とその業績

    ヴォルフディートリッヒ・シュヌレの短篇・随筆と作家業全体を対象にした顕彰で、単一作品ではない。

    作品集ではなく、作家の仕事そのものが評価対象となる。

    生涯業績短篇随筆

作品

代表作

Das Begräbnis(葬儀)

1947年 短編

神の死と葬儀を扱う短編。郵便で届いた訃報により主人公が神の葬儀に参列するが、出席者はわずかであり、信仰喪失と罪責の感情を扱う。口語体とパラタクシスを多用する作風が特徴。

罪責信仰の喪失戦後の倫理

Als Vaters Bart noch rot war(父の髭がまだ赤かった頃)

1958年 短編集(回想的短編)

語り手とその父親を主人公に、1920~30年代の労働者階級ベルリンの日常と道徳的な問いを描く短編集。一部は学校教材にも採用される人気作。

記憶家族ナチズムの台頭

Der Schattenfotograf(影の写真家)

1978年 エッセイ・断章集

日記、詩、短編、手紙など多様な形式を含む断片的作品集。妻の自殺や自身の病気、父性の葛藤など私的素材が多く含まれる。

私的記憶喪失罪責

Ein Unglücksfall(不幸な出来事)

1981年 小説(長編)

1959年のベルリンを舞台に、ガラス職人の事故とそれに伴う罪責感、ユダヤ人迫害の記憶を巡る物語。語り手の罪責感と贖罪の試みが主題。

罪責記憶贖罪

全著作

  • Das Begräbnis(1947)
  • Die Rohrdommel ruft jeden Tag(1950)
  • Sternstaub und Sänfte. Aufzeichnungen des Pudels Ali(1953)
  • Als Vaters Bart noch rot war(1958)
  • Das Los unserer Stadt(1959)
  • Der Schattenfotograf(1978)
  • Ein Unglücksfall(1981)

作風・主題

文体
口語体を多用した短い文パラタクシス(並列法)断片的・回想的な構成
頻出モチーフ
罪責感戦争と記憶死と喪失日常の倫理的ジレンマ

健康

  • 多発性神経炎(ポリニューロパチー)
    1964–1965
    1964年に重度の発症で1年以上ほぼ全身麻痺となり、回復に時間を要した。長期入院により経済的負担も生じた。
  • 心不全(死因)
    1989
    1989年に心不全により死去。

評価・遺産

シュヌッレは戦後ドイツ文学、特にトリュムマー文学(廃墟文学)の重要な作家として位置づけられる。短編作家として広く読まれ、罪責や記憶を巡る作品群は戦後世代の倫理的議論に寄与したが、晩年には一般的認知度が相対的に低下した。

関連学会

  • Gruppe 47(文学グループ)
  • PEN(かつて加盟)

資料所蔵先

  • ベルリン州立図書館 / Kalliope(関係資料所蔵)
  • ハウス・デア・ゲシヒテ等のオンライン伝記・資料

大衆文化への影響

  • 1945–1972年の間にドイツの同時代作家より多くの書籍を出版したとされ、学校教材にも短編が採用された。

引用

  • 「私は作家が物語の均衡のために問題を解決する権利はないと考える。作家はそれらを知覚し、引き裂き、登場人物をそこに押し込むべきだ。」
    出典: ゲオルク・ビューシェ賞受賞の謝辞(1983) (1983年)

豆知識

  • 1945年から1972年の期間にドイツの作家の中で最も多くの書籍を出版したとされる。
  • 最初と最後のGruppe 47の会合で『Das Begräbnis』が朗読された。
  • 葬儀については「説教や演説、音楽はなし。代わりに墓前でヨハン・ペーター・ヘーベルの『Unverhofftes Wiedersehen』を読んでほしい」と具体的な希望を残した。