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太陽の帝国 (創元SF文庫)

ジェームズ・テイト・ブラック記念賞

太陽の帝国 (創元SF文庫)

J. G. Ballard

戦時下の上海で、ひとり取り残された少年の視点から混乱と成長を描く長編。

戦争文学成長小説上海

作品情報

戦争は、子どもの世界の輪郭を容赦なく変えていく。

少年の目を通して、戦争の非日常と生き延びるための適応を描く。

書籍情報

出版社
東京創元社
発売日
2019-07-30
ページ数
477ページ
言語
日本語
サイズ
10.8 x 2 x 14.9 cm
ISBN-13
9784488629182
ISBN-10
4488629180
価格
1540 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/SF・ホラー・ファンタジー

少年はコンクリートの箱庭で、飢えと病、 暴力と死、そして自由を知った。 <破滅三部作>で知られる20世紀SFの巨匠の名を 不動のものとした瞠目の傑作長編新訳決定版 日中戦争中の上海。日英間の開戦を機に日本軍が上海のイギリス租界を制圧し、少年ジムは避難民の大混乱のなか両親とはぐれてしまう。独りぼっちになったジムは混乱する都市を彷徨う中、ほかのイギリス人とともに日本軍によって龍華捕虜収容所へ送られる。信用できる大人も庇護もないまま、飢餓、病、孤独、絶望に晒されながら、ジムは生と死の本質を学んでいく――スピルバーグによる映画化で知られる、二十世紀の歴史に名を刻むバラードの代表作を新訳決定版で贈る。

レビュー

  • 戦争の実相を低年齢の視線から見つめた自伝的小説の傑作

    第二次大戦中の上海で両親とはぐれた少年が収容所生活をしながら親を探し・・・というお話。 この小説に関しては瀬戸川猛資氏が色々言っていてそれが正鵠を射ているので引用すると、「この人のSFはおもしろくない」「死の観念をイメージ連鎖のみで綴ったもので、小説として味がないことおびただしいのだ」「ただし例外がひとつ」として本書を挙げ「これはすばらしい小説である日本軍の捕虜収容所で成長していく少年を主人公にした教養小説の一変種だが同時に戦争文学の傑作でもある。”生への希望としての原爆”という教条主義的平和主義者が動揺せざるを得ないような主題も秘めている。この小説を読み終えたとき、わたしはバラードがわかったと感じた。一般に思春期と呼ばれる時代に、かくも大量の死と向きあって生きのびてきた文学少年が、成長して一般文学のリアリズムに背を向け、SFの領域で死の観念世界を構築し続けたのは当然じゃないか、と納得したのである。」 上記の評で私が思ったことも言いつくされた感じなのであとは蛇足てきに感想を述べると、確かに実際戦争を体験した人の考えや生活がリアルに描かれていて圧巻でした。日本が攻撃を受けるとその分収容所の待遇が悪くなるのでやめてもらいたい、とか食物にたかるゾウムシを食べたりするところ、それでいながら日本の戦闘機に畏敬の眼差しを向けるところなど、実際に経験したした人でないと書けないと思いました。 また、迫害するほうが我々日本人で、同じ民族の先祖がこういうことをしていたということを忘れない為にもポストの「影の獄にて」と並んで、日本人必読の戦記文学の傑作だと思いました。 叙述は平明で判り易く読みやすいので若い人から年配の人まで分け隔てなく奨められる戦争小説。日本人なら是非読んでおきたい小説。機会があったらご一読を。 上記は前の訳で読んだ際の感想ですが、今回の新訳でも同じ様な感想を持ちました。解説に書いてある通り、その後でたバラードの自伝「人生の奇跡」によると、事実と若干違う部分もあるそうで、この小説を補完する意味でも自伝も読んだ方がいいかも。 その自伝で、「運良く、広島と長崎に投下された原爆によって戦争は唐突に終結した。」とか日本人だとドキっとする文章も出てきますが、これは当時日本に侵略されていた国の人や日本と戦争していた国の人の殆どが似た様な感想を持ったものだと思うので、真摯に受け止めるべきでしょう。 他に自伝の方で気になった部分とこの小説と絡む部分を引用すると(長いので飛ばしてください)、 「なべて青島での休日以外では見たことのないリラックスした気楽な世界だった。そしてわたしはこの好意的な第一印象を最後まで、やがて収容所の状況が目に見えて悪くなっていっても、依然として保ちつづけた。わたしは龍華収容所の生活を楽しみ、年齢もさまざまな多くの友人を作り(大人になってからはあんなにたくさんの友人はいなかった)、いつまでも陽気で楽天的な少年でありつづけた。やがて食料配給がほとんどゼロになり、両足にできものができ、栄養失調で脱肛を起こし、大人たちがみな希望を失ってしまってもなお」 「わたしは小説『太陽の帝国」で龍華収容所のことを描いた。いくらかは自伝的で、いくらかはフィクションだが、多くのの出来事はほぼ起こった通りに描写されている。ただし同時に、これは基本的に十代の少年の記憶に基づいた小説である。」 「小説の中で、もっとも現実と異なるのは両親が龍華収容所にいないことである。これについては深く考えたが、『ジム』を戦争孤児とする方が出来事の心理学的・感情的真実にははるかに近いと思われたのだ。まちがいなく、両親の死にいたるまで徐々に広がっていった離間のはじまりがここ龍華収容所だった」 「両親と、そして龍華収容所の生活を経験した人みなと同様、私は長くアメリカの原爆投下を支持してきた。降伏を告げる玉音放送を受けて、数日のうちにいまだ戦闘力をたもっていた日本軍は完全に戦闘を停止し、数百万人の中国人の、そして我々自身の命が救われた。そうならなかった場合に何が起こったかは、マニラでの熾烈な戦闘が教えてくれる。太平洋戦争で米軍による戦闘があった唯一の大都市では十万人あまりのフィリピン人市民が死亡した」 「今でも思いだすのは、二人の監視兵が、自分たちを上海から運んできてくれた、疲弊しきった中国人車夫をぶちのめして殺したことである。絶望した中国人が土下座してすすり泣く前で、日本人たちはまず、男のこの世での唯一の所有物であり唯一の収入の糧である人力車を蹴り壊し、それから今度は中国人を殴り蹴り、最後に男は血まみれで動かなくなった」 「一人が黒いズボンと白いシャツという恰好の中国人の若者をいたぶっていた。日本兵は電線を切り取って、中国人を電信柱に縛りつけていた。そのままゆっくりと絞首されつつある中国人が奇妙な歌のような声をだしていたのだ」 「悲しいかな、多くの点において、わたしの経験はヨーロッパや極東の占領地域に住んでいた数多の十代の少年たちとなんら変わるものではなかった。大いなる残虐が世界を覆っており、我々にはそれしか見えなかった」 「彼らは死が銃剣と手榴弾を握りしめて走ってくるのを見て、その死を眼前で食い止めるために戦ったのだ」 「わたしは『女たちのやさしさ』に、英国人は戦争に勝ったと言いながら、負けたかのように行動すると書いた。彼らはあきらかに戦争で疲れきっており、未来にほとんど希望を抱いていなかった。人々は群となって移動し、あらゆるものに列を作った。配給手帳と被服クーポンは何よりも大事で、いつも数えなおして不満たらたらだった。それで買える品など店に何もないのだが」 「さらに重要なのは、希望そのものが配給制であり、人々の意気さえも撓められてしまったことだった」 長い写経の様ですいません。その他、小説でも累々たる死体を目撃しながらや、死体の浮いている川の水をすくって飲んだり、飯盒の水にしたりと、このよう幼少期を過ごした経験から歳が上にいってネガティブなSFしか書かなくなった(或いは書けなくなった)のはしょうがないと、瀬戸川さんと同じ様な感想を持ちました。 スピルバーグ監督の映画版は未見ですが、あまり評判が良くないそうで、バラード自身もインタビューで「何であの人に監督させたのですか」と詰問されたそうです。いずれ自分で観て感想を持ちたいと思います。 SFじゃないのにSF文庫に入っているのは奇異な感じもしますが、小説終盤に「光」を見て超越的体験をするシーン等もあるし、バラードがSF作家だったからなんとなく判ります。 戦争の実相を低年齢の視線から見据えて自伝的小説の傑作。日本人必読。

  • 力のこもった精緻な新訳

    “シュールなSF作家”J.G.バラードの自伝小説というふれこみに違和感があり、映画化もされ話題にもなった『太陽の帝国』だが、なんとなく避けてきた。しかし、内面の病的世界を描いた『アサイラム・ピース』(アンナ・カヴァン)などの名訳をものした山田和子による新訳が出たというので、どんなものかと手にとってみて驚いた。こんなすごい作品だったのか。少年の心を失わないおとなのための地獄の黙示録とでも言おうか。まちがいなく傑作のひとつだと思う。 日中戦争下で廃墟と化した上海が、ひとりのイギリス人少年の曇りのないまなざしを通して語られる。乞食と曲芸団、干上がったプール、野外映画館、座礁した貨物船、空襲、処刑──。しかし少年は無秩序で苛酷な生活に順応し、むしろこのアナーキーな状況を愛するようになる。同じキャンプに収容されていたドクター・ランサムに、「ジム、君は戦争が終わってほしいと思っているのか?」と疑われ、「君は戦争の申し子だな」とあきれられる。そう、少年はよりどころにするもののない非日常の「あの不思議な快感を──自分は間違いなく生きているという、罪の意識を伴った興奮」を楽しんでいる。この「不思議な快感」こそが、J.G.バラードのすべての作品のリアリティーの光源であることが、初めてわかる。 訳者はあとがきで、バラードの作品が“予言的”といわれることに触れている。「現実の表層下に隠されていた深層心理=精神病理が、時間の進展とともにおのずと溢れ広がっていく」と。例えば終章に、戦争が終わり船で去る外国人たちについて、次の記述がある。「中国人たちは何も言わずに見つめつづけた。(‥)その顔には何の表情も現れていなかった。ジムは(‥)みんなが何を考えているのかが分かった。(‥)いつの日か、中国は世界を罰するだろう。恐るべき復讐を果たすことになるだろう」。国を蹂躙された人たちの怨念──、これは近年の習近平政権の外洋拡張路線を予言していると見える。ジム少年の体験から80年ほどが経ち、きなくさい昨今だからこそ、この新訳が出た意義は大きい。若い世代にこの一冊を手にして「戦争」は「フェイク」などではないことを認識し、さらには妄想と幻覚にいろどられたJ.G.バラードの詩的イメージの世界に一歩踏み出してほしい。 おそらく翻訳作業の多くを、当時の上海の状況から戦闘機の型式に至るまでのディテールの調べと確認に費やしたと思われる精緻な訳文は、J.G.バラードのヘビー級の英語との体力勝負も含めて、文字通り力作となっている。そのうえで、本書のタイトルは原題のまま『エンパイア・オブ・ザ・サン』でどうだったのか。ジム少年がただずむ上海のスタジアムに、突然、目のくらむような強烈な閃光がまばゆく溢れる。そこが本書の一種のクライマックスとなっているが、この神的イメージは英語のままが伝わるように思うのだけれど。

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