世界・海外・国外の文学賞

← ホームに戻る

ジョイス・キャロル・トーマス

ジョイス・キャロル・トーマス

Joyce Carol Thomas

プロフィール

性別
女性
生誕
1938-05-25 (ポンカ・シティ(オクラホマ州))
死没
2016-08-13 (スタンフォード(カリフォルニア州)) 78歳
国籍
アメリカ合衆国
言語
英語
居住地歴
ポンカ・シティ(オクラホマ州) → トレイシー(カリフォルニア州) → バークレー(カリフォルニア州) → スタンフォード(カリフォルニア州)

経歴

職業
詩人, 劇作家, モチベーショナルスピーカー, 作家(児童文学)
活動期間
1967年〜2016年
ノミネート
コレッタ・スコット・キング賞(最終候補、1984) — 『Bright Shadow』, コレッタ・スコット・キング賞(最終候補、1994) — 『Brown Honey in Broomwheat Tea』, コレッタ・スコット・キング賞(最終候補、2009) — 『The Blacker the Berry』

学歴

サンノゼ州立大学
スペイン語専攻
学位: B.A.
国: アメリカ合衆国
スペイン語の学士号を取得
スタンフォード大学
夜間教育課程 / 教育学
学位: Master's
卒業年: 1967
国: アメリカ合衆国
夜間授業を受講しながら修士号を取得

受賞歴

ナショナル・ブック・アワード(ヤングピープルズリテラチャー/児童小説・ペーパーバック部門)
1983
対象作品: マークド・バイ・ファイア (Marked by Fire)
部門: 児童小説(ペーパーバック)
主催: ナショナル・ブック・ファンデーション
結果: winner
アメリカン・ブック・アワード
主催: ビフォア・コロンブス・ファンデーション(主催団体)
結果: winner

受賞・候補エディション

  1. 受賞作: Marked by Fire

    オクラホマを舞台に黒人家族と若者の成長を描く物語。逆境や喪失の中で自己を見出すテーマが中心。

    オクラホマを舞台に黒人家族と若者の成長を描く物語。

    172ページ
    成長共同体黒人文学

作品

代表作

マークド・バイ・ファイア (Marked by Fire)

1982年 児童向け小説

オクラホマを舞台にした児童向け小説。主人公と家族が火災と向き合い、喪失と再生を通じて成長する姿を描く。

家族喪失と再生アイデンティティ

ブライト・シャドウ (Bright Shadow)

1983年 児童文学

子ども向けの物語や詩情を含む作品集。アフリカ系アメリカ人の経験や家族の絆を繊細に描く。

文化的経験家族希望

ブラウン・ハニー・イン・ブルームウィート・ティー (Brown Honey in Broomwheat Tea)

1993年 児童詩/絵本

詩的でイメージ豊かな児童向け作品。文化的ルーツや日常の美しさを祝い、子どもたちの視点を大切にする。

文化・伝統自尊心日常の美

ザ・ブラックァー・ザ・ベリー (The Blacker the Berry)

2009年 ヤングアダルト/児童文学

肌の色や人種的自己認識をテーマにした作品。若い登場人物が差別や偏見に向き合いながら自分を受け入れていく物語。

人種とアイデンティティ自己受容社会的偏見

全著作

  • Marked by Fire(マークド・バイ・ファイア)
  • Bright Shadow(ブライト・シャドウ)
  • Brown Honey in Broomwheat Tea(ブラウン・ハニー・イン・ブルームウィート・ティー)
  • The Blacker the Berry(ザ・ブラックァー・ザ・ベリー)

作風・主題

文体
簡潔で詩的な文体リズム感のある語り子どもの視点を重視する表現
頻出モチーフ
家族の絆文化的ルーツ再生と回復

評価・遺産

ジョイス・キャロル・トーマスは、アフリカ系アメリカ人の経験を児童文学の領域で豊かに描いた作家として評価されている。代表作『Marked by Fire』でナショナル・ブック・アワードを受賞し、児童文学における多様な声の重要性を示した。

関連学会

  • アメリカ図書館協会(関連プログラムとして言及)

資料所蔵先

  • アメリカ議会図書館(関連図書・資料)
  • 各国の図書館・目録(WorldCat、VIAFなどの識別子あり)

豆知識

  • 9人兄弟の5番目としてオクラホマ州の綿摘み労働者の家に生まれた。
  • 1948年に家族とともにカリフォルニア州トレイシーへ移り、そこでメキシコ人移動労働者からスペイン語を学んだ。
  • 4人の子どもを育てながら夜間にスタンフォード大学で学び、1967年に修士号を取得した。