世界・海外・国外の文学賞

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西浦 道子

にしうら みちこ

Michi Nishiura Weglyn

別名: Michiko Nishiura / Michi Weglyn

プロフィール

性別
女性
生誕
1926-11-29 (カリフォルニア州ストックトン)
死没
1999-04-25 (ニューヨーク市(ニューヨーク州), アメリカ合衆国) 72歳
国籍
アメリカ合衆国
言語
英語, 日本語
居住地歴
カリフォルニア州ストックトン(生誕) → ブレントウッド(農場での生活) → ギラリバー収容所(アリゾナ州、強制収容) → ニュージャージー(療養および就労) → ニューヨーク市(長年の居住・活動の拠点)

経歴

職業
作家, 舞台衣装デザイナー, 市民権活動家
活動期間
1944年〜1999年

学歴

マウントホリヨーク大学
理学部(生物学専攻) / 生物学
期間: 1944–1945
国: アメリカ合衆国
結核治療のため中退
バーナード・カレッジ
期間: 1947–1948
国: アメリカ合衆国
在学後、再度結核により療養

受賞歴

アニスフィールド=ウルフ賞
1977
対象作品: 『Years of Infamy: The Untold Story of America’s Concentration Camps』
部門: ノンフィクション
主催: アニスフィールド=ウルフ基金
結果: 受賞
名誉博士号(ハンター大学)
主催: ハンター大学
結果: 授与
名誉博士号(マウントホリヨークカレッジ)
主催: マウントホリヨーク大学
結果: 授与
名誉博士号(カリフォルニア州立ポリテクニック大学ポモナ校)
主催: カリフォルニア州立ポリテクニック大学ポモナ校
結果: 授与

受賞・候補エディション

  1. 受賞作: イヤーズ・オブ・イニミティ:アメリカの強制収容所の知られざる物語

    ブラウン判決に至る法廷闘争を、奴隷制後の人種隔離の歴史から最高裁の審理まで立体的にたどる大部の歴史書。公民権運動の法的基盤を理解するうえで欠かせない定番。

    判決そのものだけでなく、それを支えた長い闘いを描く労作。

    823ページ
    公民権運動憲法教育の隔離最高裁

作品

代表作

『Years of Infamy: The Untold Story of America’s Concentration Camps』

1976年 ノンフィクション・歴史・調査報告

第二次世界大戦中のアメリカによる在米日本人の強制収容と政府の不正を体系的に記述し、収容の「軍事的必要性」論を批判した調査報告書。キャンプ内の抗議活動や日系ラテンアメリカ人の扱いなど、従来あまり取り上げられてこなかった問題点も明らかにした。

市民権差別と人種主義記憶と正義強制収容
映像化・舞台化
  • [ドキュメンタリー] アウト・オブ・インファミー(Out of Infamy)

全著作

  • Years of Infamy: The Untold Story of America's Concentration Camps(1976)

翻案

  • ドキュメンタリー『Out of Infamy』

作風・主題

文体
調査報告的なノンフィクション事実に基づく論説的文体
頻出モチーフ
権利の脆弱性記憶の保存と証言不当な扱いへの告発

健康

  • 結核
    1944–1949(断続的に療養)
    大学を中退するなど学業と初期キャリアに影響を与えたが、その後の活動・執筆に復帰した。

評価・遺産

『Years of Infamy』は日系アメリカ人強制収容に関する重要な歴史的研究として評価され、1988年の賠償法成立へ向けた運動に影響を与えた。ヴェグリンは被害者の代弁者としての役割を果たし、日系人コミュニティとアメリカ史研究の重要人物と見なされている。

資料所蔵先

  • 国立公文書記録管理局(Japanese American Internee Data File に記録)
  • デンショ研究所(Densho)アーカイブの証言と資料

大衆文化への影響

  • ドキュメンタリー映画『Out of Infamy』による紹介

引用

  • (本の序文より)人々の権利の脆弱さを思い起こさせることを望む。『二度と起こり得ない』と言う者たちはおそらく間違っている。
    出典: Michi Nishiura Weglyn, 『Years of Infamy』 序文 (1976年)

豆知識

  • 1957–1966年にPerry Comoショーの舞台衣装デザイナーとして活動し、当時の日本人系アメリカ人の中で国際的に注目を浴びた。
  • 夫はオランダ出身のユダヤ人難民ウォルター・ウェグリンで、彼の経験が執筆を促したとされる。
  • 1942年にターロック組立センターに移送され、その後ギラリバー収容所に収容された経験がある。