チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)
チェルノブイリ事故をめぐる証言を集めたノンフィクションで、被災者たちの恐怖、喪失、沈黙を声として残す。
作品情報
巨大事故のあとに残ったのは、説明よりも証言だった。
Svetlana Alexievich が事故の当事者や周辺の人々への取材をもとに構成した証言文学。災厄が人々の生活と記憶に残した傷を、複数の声の連なりとして描く。
書籍情報
- 出版社
- 岩波書店
- 発売日
- 2011-06-16
- ページ数
- 318ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 10.5 x 1.5 x 15 cm
- ISBN-13
- 9784006032258
- ISBN-10
- 4006032250
- 価格
- 235 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/その他の外国文学
2015年ノーベル文学賞受賞。 1986年の巨大原発事故に遭遇した人々の悲しみと衝撃とは何か.本書は普通の人々が黙してきたことを,被災地での丹念な取材で描く珠玉のドキュメント.汚染地に留まり続ける老婆.酒の力を借りて事故処理作業に従事する男,戦火の故郷を離れて汚染地で暮らす若者.四半世紀後の福島原発事故の渦中に,チェルノブイリの真実が蘇える.(解説=広河隆一)
1947年ウクライナ生まれ。国立ベラルーシ大学卒業後、ジャーナリストの道を歩む。民の視点に立って、戦争の英雄的神話をうちこわし、国家の圧迫に抗い続けながら執筆活動を続ける。2015年ノーベル文学賞受賞。
レビュー
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とてもいいドキュメンタリー
あまり期待せずに読んでみたら、とてもいい本でびっくりしました。 速報系のニュースだと冗長だとして刈り込まれてしまうような その場所に立ち会った人の生きた言葉を、 いろいろなスタンスの本人たちの 語りの集積の形をとることでちゃんと残せていて 全体を深く重層的なものにしている感じがします。 声高になにかを批判するのでなく 現実の断片の集積を提示して 読んだ人に評価をゆだねているようなスタイルも とてもよかったです (ちょっと例として適当かわからないですが 映画「金日成のパレード」みたいなニュートラルさというか) 冒頭の、消防士の妻の語るエピソードも深く心に残るものでしたが、 個人的に一番印象深かったのは 退去するまえに、あらゆる翌年の種の袋を全部 「神様の鳥たちに」と庭に、「大地で育っておくれ」と菜園にまいて 家や納屋や1本1本のリンゴの木に おじぎをし、お別れをしていったおばあちゃん、 のエピソードでした。 (7行だけのものでしたが) 解説で、広河隆一さんが自らのレバノンでの体験を 「『首が切断され、おなかが切り裂かれ、胎児が取り出されていた』 という言葉で表しても、肝心な、大切なものは伝わらないのだ」 しかしアレクシェービッチは…というような文脈で この著者がなしえたことを語っていて、同じ感想を持ちました。 この著者のほかの本も岩波で出ることになったようなので、 読んでみようと思います。
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原発のある国に住む人は必読
巻末の解説の言葉「アレクシエービッチの仕事は、最も過酷な形で崩壊させられていく人間の姿を、生命の尊厳で書き留めていくことだったのだ」、これに尽きると思います。
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この本で知識を深めたい
きれいな本でした。
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たくさんの声
忠実に思いを伝えてくれています。
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被害者の生の声
事故や事件に触れたとき、メディアを通してしか実態を知ることができないが、同著は被害者の声を忠実に再現していると思われる。ありありと伝わってくる恐怖に目をページを閉じたくなるが、最後まで読んだとき、国が正しく運営されるための国民としての義務に気づかされる。一読の価値あり。
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答えが見つからない問いを突き付けられる本です
とても重たい内容です。読み進めるほどに、無力感に襲われます。人は行く手が見えない時には、先人の知恵に頼ろうとするものだが、チェルノブイリ事故のような経験は、どんな本にも書いてありません。 このドキュメンタリーには、チェルノブイリを経験した人たちの「声」しか書かれていません。読者は不安を共有し、永遠に答えの見つからない問いを一緒に背負うことになります。あの時何が起きたのか、なぜこんなことをしなくてはならないのか、なぜ最愛の人を最悪の形で見送らなければならないのか、なぜ祈りは通じないのか、そして、未来には何が待っているのか。 背負いきれない問いが襲ってきます。 農村の牧歌的な光景と対照的な、人々の苦しみ、残酷な死に様に、心が張り裂けそうになり、まだ心の整理がつきません。答えが見つからないという点で、星三つにしました。ただ、きっと死ぬまで考え続けなくてはならないテーマではあるのでしょう。
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被爆者の真実を知る事ができる本
何処の国もそうでしょうが、放射線被曝の実態なんて判りにくいものは公表できないものでしょう。 ちょっと浴びただけでもその後に癌になる人がいるかと思えば「こんなに浴びても大丈夫なの?」というほど浴びても生き延びている人もいて、放射能に対する盲目的な恐怖で思考が停止してしまうのが嫌な人には読む価値があると思います。 実際に体験した人々による生の情報が、報道されたり漏れ伝わる情報とは如何に異なるものか、定量的な放射能災害論では推し量れない放射線被曝の実態、無知である事の是非……等々、様々な事を考えさせられる書でした。
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読むのがつらい…でも、読まなければならない本
本書は、チェルノブイリ原発周辺に居住していた人たちと、原発事故の処理に関わった人たちやその家族の証言をまとめたものです。著者は「この本は人々の気持ちを再現したものです、事故の再現ではありません」と述べています。ごく素朴な庶民、農民、子供や高齢者の証言が大半を占めていますが、物理学者や当時の共産党地区委員会書記などの証言も含まれています。それだけに、統計数字や表面的な報道には表れないチェルノブイリ原発事故の悲惨さが伝わってきます。 僕は、一気に読むことができませんでした。あまりに悲惨な証言の数々に打ちのめされ、読み続けることができなくなったんです。何回も中断して、約1ヶ月かけて読み終えました。以下に自分なりに得た教訓をまとめておきます(個人の感想です)。 (1)放射線は、無味無臭、目に見えず、知覚することができません。そのため、測定器がない限り、放射線は避けようがありません。仮に測定器があったとしても、放射線は五感に感じられないために、つい人間は慎重さを失って「これくらいなら大丈夫だろう」と楽観してしまいます。現実感がないんです。でも被曝の恐ろしい作用は、確実に人体を蝕みます。 (2)原発はいったん事故が起これば危険な放射性物質を撒き散らし、事故を起こさなくても危険な高濃度放射性廃棄物を生み出し続けます。人間の手には負えない悪魔の装置なんです。 (3)政府や為政者は、しばしば冷酷に「一部の国民の犠牲」を容認します。これは、戦争と同じ発想です。訳者あとがきには「チェルノブイリは第三次世界大戦なのです」と書かれています。 (4)政府や為政者は、しばしば自分達にとって都合の悪い事実を隠蔽します。これは旧ソ連の特殊な問題ではなく、権力が本質的に持つ本能なんです。日本も例外じゃない。 (5)庶民の証言を読むと、当時の人たちがいかに放射線被曝に関して無知だったかがわかります。そして僕たちも、原発や放射線被曝に関して、どこまで理解しているのか、不安になってきます。 ここで本書から小話をひとつ。悲惨なブラックユーモアです。 ウクライナのおばさんが市場で大きな赤いりんごを売っている。「りんごはいかが、チェルノブイリのりんごだよ」。だれかがおばさんに教える。「おばさん、チェルノブイリっていっちゃだめだよ、だれも買っちゃくれないよ」「とんでもない、売れるんだよ。姑や上司にって買う人がいるんだよ」
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