朗読者 (新潮文庫)
十五歳のミヒャエルとハンナの関係を軸に、愛と秘密、裁きと罪責が重なっていく。戦後ドイツの記憶を見つめる、静かだが強い長編。
作品情報
恋と秘密が、戦後ドイツの記憶と結びついていく。
新潮文庫の日本語版『朗読者』として広く読まれてきた作品。個人の恋愛と歴史的責任が交差することで、読後に長い問いを残す。
書籍情報
- 出版社
- 新潮社
- 発売日
- 2003-05-28
- ページ数
- 258ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 10.67 x 1.02 x 14.99 cm
- ISBN-13
- 9784102007112
- ISBN-10
- 4102007113
- 価格
- 737 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/評論・文学研究/外国文学研究/ドイツ文学
過去に犯した罪をどのように裁き、どのように受け入れるか――。 数々の賛辞に迎えられて、ドイツでの刊行後5年間に25カ国で翻訳され、 アメリカでは200万部を超えるベストセラーに。 15歳のぼくは、母親といってもおかしくないほど年上の女性と恋に落ちた。「なにか朗読してよ、坊や!」──ハンナは、なぜかいつも本を朗読して聞かせて欲しいと求める。人知れず逢瀬を重ねる二人。だが、ハンナは突然失踪してしまう。彼女の隠していた秘密とは何か。二人の愛に、終わったはずの戦争が影を落していた。 現代ドイツ文学の旗手による、世界中を感動させた大ベストセラー。 本文より そのあとの何週間か、ぼくは本当にバカみたいに勉強し、進級試験に合格し、ハンナと愛し合った。まるで世界中見渡してもそれ以外に価値のあることはないみたいに。そのあとに起こったこと、当時すでにその兆候はあったものの、後になってようやく明るみに出た事柄を知っているために、こんなに悲しいのだろうか? なぜだろう?どうして、かつてはすばらしかったできごとが、そこに醜い真実が隠されていたというだけで、回想の中でもずたずたにされてしまうのだろう。 ベルンハルト・シュリンク Schlink, Bernhard 1944年ドイツ生まれ。小説家、法律家。ハイデルベルク大学、ベルリン自由大学で法律を学び、ボン大学、フンボルト大学などで教鞭をとる。1987年、『ゼルプの裁き』(共著)で作家デビュー。1995年刊行の『朗読者』は世界的ベストセラーとなり2008年に映画化された(邦題『愛を読むひと』)。他の作品に『帰郷者』(2006)、『週末』(2008)、『夏の嘘』(2010)など。2017年6月現在、ベルリンおよびニューヨークに在住。 松永美穂 1958年生まれ。早稲田大学教授。著書に『誤解でございます』など、訳書にベルンハルト・シュリンク『朗読者』(毎日出版文化賞特別賞受賞)、ジークフリート・レンツ『黙祷の時間』、へルマン・へッセ『車輪の下で』、ペーター・シュタム『誰もいないホテルで』など。
レビュー
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ストーリーが素晴らしい
映画を観ているようで、一気に読みました。
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切ない…
切ない、ただただ切ないエンディングだった。
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どうも、ミヒャエル(マイケル)良い印象を持てませんでした
DVDビデオを観ると、ハンナに感情が行ってしまいましたが、 では、 ミヒャエルは、どうなのかと原作を読んでみましたが、 原作を読んでも 私には、ミヒャエルは、どうしてもインチキ・ゲンチャアそのものにしか 感じられなかった。 「偽りの愛」を読んだヒト(ミヒャエル)でした。 DVDを三度ほど観たあとの原作読みでしたから、どうしても DVDの印象に引っぱられてしまうのですが・・・ 勿論、物語作品的には、読んで良かった作品です。 字幕を見ながらの、鑑賞より活字を読んだ方が、じっくりと解釈できますしね。
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平和ボケで醒めた自分を意識
ナチスドイツの爪痕とそれに巻き込まれてしまった人々の深い苦悩と、 ジェネレーションギャップの問題がベースになっているので、読み進むのが 正直息苦しかったです。こういう作品に真摯に向き合うのが大切と思いつつ、 いまいち醒めている自分を意識してしまいました。 こういうのを平和ボケというのでしょうね。
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葛藤
戦後ドイツの、過去の過ちに目を向ける世代の葛藤。作者シュリンクがずっと抱えてきた問題そのものが作品にあらわれているよう。 映画『愛を読むひと』を先に観ていたのですが、原作を読むことで主人公の複雜な心理がわかる。 かつて愛した女性と、強制収容所をめぐる裁判で再会する…。 「あなただったらどうしましたか?」(作品中、ハンナが裁判長に問うたセリフ) おすすめ、おすすめ。
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読んでみたかった本
どうしても読んでみたかった本です。 地方都市の書店では取り寄せになってしまい日数がかかるのですが、こういう時にAMAZONは有り難いと思います。
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切なさが加速する
ケイト・ウィンスレット主演の映画を見てから、原著を読んでみたくなった。 映画観と本書で、ますます世界観が拡がり…泣けて泣けてしようがなかった。 「坊や…」ハンナの呼びかけがリフレインする。
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上質な悲劇
一見強く見える美しい女性。 しかし、彼女は育った環境という自分ではどうしようもなかった要因で一般社会から忌み見下される特性を持って生きることになる。 その特性を持つことで生まれる劣等感から、自分の人生に自分で制限をかけている女性。 強い劣等感をもっていることで、彼女は自分自身の知性や能力の高さを認識しない。 それが、自分では認識、制御できないプライドの高さを生む。 その「自分でも認識しないプライドの高さ」が、その女性に「強く美しい」という印象を与える。 また自分で強烈に認識している劣等感が「近寄りがたさ」をいう印象をつくる。 この女性の魅力はこの2つのポイントではないかと思う。 不意に、偶然に彼女の心に触れるくらい近づく存在が、この手の悲劇の語り部、もしくは主人公となる。 劣等感により制限をかけているのは「普通の幸せ」や「愛」を素直に求めることである。 普通に親に愛され、健康な体で生まれた人間なら、生まれた時から当たり前のように持っているもの。 「強く美しく」、「自立した」女性に見える彼女がそんなものを望んでいるとは周りの普通の人間は想像ができない。 また、忌み見下される特性をもった人間はそれを望めるべくもないと、それを得る努力さえしない。 だが、実際は心の奥底では狂おしいほど求めている。 彼女は語り部(主人公)にだけ、自分のその奥底の希望を垣間見せるのである。 結局、彼女はそれを手に入れることはできない。 だから悲劇なのだ。 例えば醜い獣の、自分が醜いと認識しそれでも愛を求めてしまう弱い姿を見てしまったとき。 椿姫、シーラという子、朗読者、私の感情を揺さぶる悲劇の主人公はみな外見は醜くはない。 「19世紀のフランスの貴族から見た娼婦」、「特別クラスの若い先生から見た障害児」、そして「学者の父を持つ将来有望な少年から見た○○(今作の重要な要素なので伏せます)のおばさん」。 本人が自らを「醜い存在」と判断するのは外見でなく、その特性だ。 同様のプロットも持つ悲劇が強く心を打つのは、「自分ならどうしただろう(どうしたら彼女を幸せにできただろう) 」という問いかけに明確な答えを導きだせないからだろう。 自分の無力さを認識させられるからだろう。 しかし、この感情に向き合うことが自分の人生の意味なんじゃないかとぼんやり思ってしまう。
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