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終わりの感覚 (Shinchosha CREST BOOKS)

ブッカー賞

終わりの感覚 (Shinchosha CREST BOOKS)

ジュリアン・バーンズ

老年の語り手が、過去の恋愛と友情、記憶の曖昧さに向き合う短編長編。時間が過去をどのように書き換えるかを描く。

記憶後悔老い時間人間関係

作品情報

記憶の曖昧さと後悔を描くブッカー賞受賞作。

何が本当に起きたのかという問いを、短いページ数の中で深く掘り下げる。

書籍情報

出版社
新潮社
発売日
2012-12-21
ページ数
188ページ
言語
日本語
サイズ
13 x 2 x 18.8 cm
ISBN-13
9784105900991
ISBN-10
4105900994
価格
2156 JPY
カテゴリ
本/文学・評論/文芸作品

Amazon.co.jp: 終わりの感覚 (Shinchosha CREST BOOKS) : ジュリアン バーンズ, Barnes,Julian, 政雄, 土屋: 本

レビュー

  • 軽く、無音に、染み渡る

    初読のあと、再読するまでの間に大きな心理的変化があったせいか、一年ほど間をおいてもう一度読むと、この本は、恐ろしいほど澄んだ音で自分の中に浸透していった。 エイドリアンとベロニカとトニー。この三人が絶妙。 エイドリアンとベロニカは、結局はトニー側からのイメージでありその内実は終わりまで読まないと見えてこないんだけど、それでも(だからこそ?)十分に生々しく描かれていて、三者三様に自分が重なる。エイドリアンは、苦悩に対して理性で回答を導こうとして静かに滅びに向かったところ。ベロニカは、爆発寸前の苛立ちと孤独と、あとは血を流すような苦痛。トニーの心理描写は本当に丁寧で舌を巻いてしまうけど、特に「平和主義」という名の事なかれ主義(あるいは怠惰)に対する自己反省と、それから…そうだな、親友に恋人を奪われる、陳腐だけど(「リスボンへの夜行列車」を思い出した)それを起爆剤として描かれる、トニーのベロニカに対するベクトルが精緻で独特で、そして…痛いほど身に覚えがある。 一度引き込まれると、著者バーンズの鋭い知性と小説の旨味がどんどん分かってくる。細部に無駄がない。すごい。これは…大した本だ。 知性と人格についての語りもとてもよかった。著者の思想といってよいものだろう。エイドリアンの翼の生えたような知性を語る際の「思考の交通整理」という言葉がすばらしい。いるのですよ本当に。天分のごとき知性を自在に操りながら、軽やかに周りの人たちを高みに連れていってくれるような人間が…。そして人格。この年になると染み渡るように理解できる。製鉄に似ている。ときに暴力を伴う鍛造を経て、透き通る音の響く鋼になる…それは実感として自分の中にある。 なんというか、再読してこれだけ劇的に印象が変わるのだから、この本は好き、この本は嫌い、などと軽々しく言うもんじゃないなと自戒。当たり前だけど、しかし自分で思っていた以上に、精神状態というか心のありようは、読後の印象を大いに支配するし歪めもする。成熟に応じた味覚の変化っていうのは、何もごはんに限ったことじゃないんですね。 それにしても、心の一番奥の、湖底の静寂の中にまだ残ってちりちりと涼しい音を立てているような… うう、出会ってしまった、と思ってしまったのでした。

  • 8年ぶり再読

    2011年ブッカー賞受賞作。購入した当時はあまり記憶に残らない読書となった本書。 SNS 疲れから、紙の本を読む様になって本棚から選んで3日間で読了。 本を読むことの上質な楽しさ、思考に与える導きを思い出させてもらいました。 技巧を凝らした作品でもあり、遊び心に満ちた作家の世界を堪能する事が出来ました。 いっときの感情を非対面で他者にぶつける事が これほど愕然とする未来へ繋がるなんて誰も思いもしないだろう。 読了直後、映画「ベロニカとの記憶」も観ました。 映画では主人公の偏屈さが薄れていて若さゆえの過ち程度で 私自身は本の方が心を揺さぶられるものがあったと感じました。

  • 哲学的な深みを感じさせる良作

    著者の世代の学生時代の思い出から、老後の現在を綴る 人生の「終わり」を見据える思いテーマながら 深刻さはなく、むしろ著者の悟りの静寂を思わせる文体 中年の自分が何度も呼んで、自分の学生時代を思い起こさせ 懐かしい気分にさせるとともに、「死」を見据えたブッタの境地の片鱗のような 示唆も感じさせる

  • ブッカー賞を得た中編小説。

    精緻な構成で進行していく。 プロットも品良く、部分的に特に輝く表現もあり、それでいて非常に読みやすかった。 ただ、サスペンスフルな誘導と登場する人々の心理描写がなんだか表面的なものに感じられて、それほど引き込まれない。 楽しみつつ一気に読めた割に、読後の印象が乏しかった。 ブッカー賞でなければ星を4つにしたと思う。

  • 真面目な小説が、実はサスペンスで、しかもどんでん返しする、すごい小説

    <概要> 穏やかな引退生活を送る男のもとに、見知らぬ弁護士から手紙が届く。日記と500ポンドをあなたに遺した女性がいると。記憶をたどるうち、その人が学生時代の恋人ベロニカの母親だったことを思い出す。託されたのは、高校時代の親友でケンブリッジ在学中に自殺したエイドリアンの日記。別れたあとベロニカは、彼の恋人となっていた。だが、なぜ、その日記が母親のところに?ウイットあふれる優美な文章、衝撃的エンディング。記憶と時間をめぐるサスペンスフルな中篇小説。2011年ブッカー賞受賞作。(表紙カバー見返し文より引用しました) <感想> 忘れていた学生時代の記憶が、一通の手紙から蘇っていく。妻と離婚しながらも、ときどき食事を共にし、孫の成長を喜ぶ老人が、学生時代に自ら命を絶った友人の秘密に巻き込まれていく。最後は、まさかの結末だが…。 老人が、忘れていた若き日の記憶をたどるという点では、ジョン・バンヴィル「海に帰る日」に似てはいるが、「終わりの感覚」では、自ら積極的に追憶するのではなく、弁護士も絡む手紙が、否応なしに過去の記憶をたどることを強要する。 丁寧ではあるが、主人公の回想、思考の文章表現はリアルだった。また、生々しかった。 綺麗ではあるが、妙に高貴なわけではなく、大衆的な表現も混じる。結構、読み始めるとのめりこみ、184ページの中篇小説だが、一気に読んでしまった。また、読み終えてから、再度、要所を読み返し、「そういう事だったのか!」と納得した。読んだ後に、作者の巧妙な仕掛けに気づいた。すべてが氷解するような気分になる小説だった。真面目な小説が、実はサスペンスで、しかもどんでん返しする、すごい小説でした。(65歳男性)

  • 書かれなかったことを読めなければ読めない本。 映画「ベロニカとの記憶」が楽しみ。

    2018年1月この本を原作とした映画「ベロニカとの記憶」が公開されるとのことで読んでみた。 この小説のポイントは時相がふたつあること。35-40年前の主人公20代の頃の出来事、そして現在の出来事。ところが過去の出来事があたかも事実のように書かれていながら、じつは現在からの回想でしかないところが大きな仕掛けになっている。そして、現在のある出来事(過去に書いた手紙)によって、回想そのものの信頼性が大きく損なわれる。つまり、前半の若いときの話は主人公の都合のいい回想に過ぎなくなってしまう。都合の悪いことは思い出されていない・・・。 冒頭から読むとこの仕掛にまんまとのせられてしまう。だから最後まで読んでも???なことがいくつか残る。なぜベロニカと別れたあと母親から手紙がくるのか。エイドリアンはなぜベロニカとつきあっていながら母親とできてしまい妊娠までさせてしまったのか。死ぬ前はなぜ幸せだったのか。なぜ自殺しなければならないかったのか。なぜ母親は遺産とエイドリアンの日記を主人公に送るのか。血の報酬の意味は。 これらがもやっとしてクリアにならないのは前半の回想部分に意図せざるうそや省略があるからだ。 でも、それがどんなうそか、何が省略されているのか、読み手は想像するしかない。 主人公はベロニカの母親とできていた(目玉焼きのシーン)けどそれが書かれていない、のかもしれない。もっと突飛なことを考えると、エイドリアンの実母がベロニカの母で、障害をもったエイドリアン2世は、エイドリアンとベロニカ、兄妹の子供なのかもしれない。そんな多様な読みができる構造ゆえに読後の浮遊感があるような気がする。 「終わりの感覚」は2度めは書かれていないことを考えながら読まなければその本質がわからない、いや、そう読んでも浮遊感が残る、不思議な構造になっている。レビューの評価が割れるのは、どこまでも残るはっきりしない感を受け入れられるかどうか、ということか。 <2019年11月10日追記>この本を原作とした映画「ベロニカとの記憶」がAmazon Prime Videoに入ったので見た。主人公の孤老の生活が結構いい感じで描写されていた。歳とったベロニカをシャーロット・ランプリングが演じていたが若いころと容貌が違いすぎてやや違和感が。重大な役回りのベロニカの母こそがランプリングにふさわしいのでは?記憶がウソをつくというコンセプトはうまく表現されていて映画も☆☆☆☆ <2020年4月12日追記>新型コロナで巣ごもり状態になり映画「ベロニカとの記憶」をAmazon Prime Videoを見た。ところが5カ月前に見たはずの映画なのに初見のような感じがした。で、感想を原作本のところに書こうと思って自分の書いたレビューをみると5カ月前に追記していた・・・おそるべきことだ。歳をとるとはこういうことか・・とまさに「終わりの感覚」である。 そして、再度原作の「終わりの感覚」を読んでみた。何度も楽しめる。また映画をみたくなった。これは不思議な作品だ。

  • もう元には戻れないのだ

    終わりの感覚 じわりじわりとその痛みは広がっていく。 深く広くなのか、それとも突き刺さったところから奥へ奥へなのか。 その痛さの違いは、記憶の違いだ。 「思い出」という甘い言葉のオブラートで包もうとする事実の違いだ。 学生のときにしてしまった思いがけない出来事を 私はもう忘れてしまっていた。 それを何年も経って、かつての恋人につきつけられるまで。 彼女は、自分のかつての彼女は、 自分のかつての親友とつきあっていた。 その親友ももうこの世にいない。そう、彼は自殺したのだ。 その自殺の原因は何だったのか。 そしてなぜいま、彼女はこんなにも怒っているのか。 久しぶりにやり取りが復活しても、彼女から出てくる言葉は 「あなたは、昔も今も、わかっていない」 記憶とは、言い換えればどこかでねつ造された歴史だ。 歴史とは、ある一方からみて、記された事実で もう一方から見ると事実ではないことがある。 それを学生時代、歴史の時代に先生から彼は教わった。彼も、彼の親友も、 学生時代の悪友たちとともに。 その授業の内容の記憶が何十年も経ち、 人生のいわば晩年を迎えた彼によみがえる。 歴史とは、記憶とは、そう思おうと自覚していようがいまいが どこかに自身の気持ちが反映されてしまうもの。 その「真実」に思い至ったのが、もうあまりにも遅いことに気づいたこの 主人公。 そして彼=何年後かの私たちでもありうるという可能性。 それがこの小説が伝えてくれる真実、なのだ

  • 正しく英国的な文学

    公務員として、平凡な人生を送ってきた主人公が老齢の入り口に差し掛かり、自分の知らなかったかつての恋人の人生が明るみになる。 過去の友情や恋愛といった些事よりも、はるかに巨大な性の魔力が、現在の状況を作り出したことを主人公は理解する。 主人公の驚きや価値判断に一切触れずに物語は終わる。この文学では余計なことを滔々と主人公に語らせるのは間違っている。母娘の葛藤や父親の自棄の念などにも言及されない。このあたりの余白感は正しく英国的な文学といえよう。「大人ならわかるよね。これは善悪の問題ではないし、好悪の問題でもない。こういうことが起こったにすぎない。あとは自分で考えてね。」 優れた芸術家であるバーンズは芸術のうしろに隠れて、舞台袖のカーテンの隙間から観客の様子を眺めている。

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