モレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)
故国での政治的迫害を逃れて絶海の孤島に辿り着いた逃亡者は、ある日突然、無人島のはずの場所に1920年代風の男女の一団を目撃する。その中の若い女性ファウスティーヌに恋した彼は、彼女が自分に一切気づかないことに苦しみながら島を探索し、やがて驚愕の真実を発見する。科学者モレルが発明した機械は、視覚・聴覚・触覚・嗅覚に至るまですべての感覚を完全に記録・再生し、対象者の魂ごとを永遠にループさせる。しかし記録される者は命を奪われる。孤独と絶望の果てに、語り手は自らも機械に記録されることで、投影されたファウスティーヌの傍に存在しようと決意する。
作品情報
絶海の孤島で愛は永遠に再生される—そして愛する者は消えてゆく。
アルゼンチンの作家アドルフォ・ビオイ=カサーレスが1940年に発表した中編小説。ボルヘスの序文と「完璧なプロット」という絶賛を受け、ラテンアメリカのポスト戦後ブームを先導した作品として知られる。波を動力源にして稼働する録画・再生機械が作り出す「永遠に繰り返す一週間」という設定は、ジャン=リュック・ゴダールやアラン・レネの映画的思想とも共鳴し、後の文化に広く影響を与えた。日本語訳は清水徹・牛島信明による水声社版(2008年、新装版2022年三刷)が読まれている。1990年のセルバンテス賞受賞はビオイ=カサーレスの生涯業績を讃えるものであり、本作はその代表作として位置づけられる。
レビュー要約
-
ボルヘスが「完璧な小説」と評し、オクタビオ・パスも絶賛した傑作として、英語圏の読者からも高い支持を受けている。SF的な設定と論理的な構成の精緻さを称える声が多く、ミステリと形而上的思索が融合した読後感に魅了される読者が多い。一方で短編的な長さゆえに設定の深掘りに限界があると感じる読者もいる。
-
SFの外枠の中に恋愛と哲学的問いが凝縮された作品として評価される。完璧な複製がオリジナルを超えるという逆転の発想と、孤独の絶対性を描く筆致が印象的で、ラテンアメリカ文学の代表的な奇想小説として名高い。
書籍情報
- 出版社
- 水声社
- 発売日
- 2008-10-01
- ページ数
- 197ページ
- 言語
- 日本語
- ISBN-13
- 9784891766962
- ISBN-10
- 4891766964
- 価格
- 2640 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/評論・文学研究/外国文学研究/スペイン・ポルトガル文学
Amazonでアドルフォ ビオイ=カサーレス, Bioy Casares,Adolfo, 徹, 清水, 信明, 牛島のモレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)。アマゾンならポイント還元本が多数。アドルフォ ビオイ=カサーレス, Bioy Casares,Adolfo, 徹, 清水, 信明, 牛島作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。またモレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)もアマゾン配送商品なら通常配送無料。
レビュー
-
その後の「機械」という概念の使い方にも大きな影響を及ぼしたと考えられる。
機械という概念をどう使うかという一つの始原例として活用することができそうな著作である。ドゥルーズ・ガタリ以降の機械という発想は、どこからきたのかを考えるとき、ひとつのポイントになるのではないだろうか。
-
買いです。
ボルヘスとの共著でも名高いカサーレスの代表作です。小説でありながら、読了後、自己の在り方や、自己に内在する他者性といった抽象的な思考にいざなわれます。フォスティーヌという他者に思いを寄せることで生じるモレルという障害が<私>との共通性ゆえ、実は<私>が乗り越えなければならない、自身に内在する「他者性」そのものであるという、ある意味においてモレルと<私>に「鏡像関係」を生ぜしめ、つまりフォスティーヌに寄せる<私>の思いは、実は自己の内面に向けられたものであり、フォスティーヌの<私>に対する無視あるいは軽微な仕草は、<私>の内面における他者性の目覚めを意味しているように読めました。しかし、逆に<私>の内面における他者性の目覚めは、それを明確に認識、超克することで初めて為される、現実における他者とのつながり、あるいはつながることの不可能性を暗示しているようにも思われます。また、フォスティーヌとモレルとの関係も、巻末の「訳者解説」にあるように、モレルを「男装をした同性愛の女」と考えると、モレルを障害とする<私>の煩悶自体が無効になり、それがモレルのような存在そのものが無意味と言っているのか、そういった存在を通して煩悶することが無意味だと言っているのか、僕は後者のようにも思うのですが、それをかなり曖昧に書いているところから考えると、その曖昧さ自体が著者の意図するところではないかという気にもなります。ところで、訳者も述べているようにボルヘスによる序文は、この作品にスムーズに入っていくためのすばらしい先導役になっています。これからこれを読む人は、まずこの序文を十分に吟味して本文に入ると、作品の全体像がより鮮明になると思います。
-
SFなのか哲学なのか、不思議な気持ちにさせる本です
町山智浩のポッドキャストでディカプリオの「インセプション」の解説の際、別の映画「去年マリエンバートで」がインセプションの元になっているのではという話があり、さらに、「去年マリエンバートで」は、この本「モレルの発明」が発端になっているといわれていたので興味をもって読みました。 「去年マリエンバートで」の監督は「モレルの発明」がベースになっていることを公言していませんが、訳者の清水徹さんがあとがきで書いているように、設定やストーリーが似ているだけではなく、マリエンバートなどあまり聞かないチェコの避暑地がこの本ではっきりと登場していることから、本の影響を受けていることは明らかでしょう。 何かの理由で終身刑の判決を受けた主人公が必死の思いで船にのって流れ着いたのが、エリス諸島にあると思われるこの無人島。ここは太平洋戦争の激戦地だったのでときどき日本の巡洋艦や潜水艦の話が登場します。 満潮になれば沈みそうになり食べ物も確保するのがやっとの島で、突然人影、しかも避暑地で休暇を楽しんでいるような場違いな男女の出現に主人公は驚き、見つからないようにしながらもその人々に興味を持ちます。とくに、フォスティーヌという若い女性に惹かれはじめ、ついには自分を抑えきれなくなって話かけます。ところが、彼女はまるで主人公が存在しないかのごとく振る舞い、主人公の心は激しく傷つきます。やがて、主人公はこの島の重大な秘密を知ることになります... SF的なエッセンスはありますが、この作品は何か哲学的な要素を含んでいます。インセプションの夢と現実もそうでしたが、現実と仮想、鏡のこちら側と向こう側。私でない他人がどういう人かを判断するのは私であり、それはあくまで、私が見て感じたものが全てなのです。逆に言うと、自分の存在というのは、他人が見てくれるから存在するのであり、そうでなければ存在しないのと同じになってしまうということを語っているような感じがしました。
-
幻想文学?
ヌーヴェル・ヴァーグの傑作と言われる『去年マリエンバートで』が観たいのだが、 超難解らしいので躊躇していた。 そうしたら町山さんが解説している動画を 発見して拝聴。 その中で元ネタのひとつと言われていたこの本に興味を持って 読んだ次第です。 町山さんが完全にネタバレしてたので、全然楽しめなかった(笑) 一方的で 激しい片思いというものがあまり好きじゃないのも原因のひとつと思われる。 最後の解説に『去年マリエンバートで』との類似性などが詳細に語られていて とても興味深かった。 映画ファンはここだけでも読むと楽しめると思います。