作品情報
噂がひとりの若い女性を「目立つ存在」に変え、目立つこと自体が危険になる社会を描く。
『ミルクマン』は、固有名を避けた語りによって、政治的分断が人びとの会話、恋愛、家族関係、身体の動きにまで及ぶ世界を描く長編小説である。日本語版は河出書房新社から栩木玲子訳で刊行され、英語版は Faber & Faber のペーパーバックで流通している。
レビュー要約
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語りの異様な密度とユーモア、不穏さを同時に保つ声が高く評価されている。読みやすさよりも圧力の強い文体で、共同体の恐怖を身体感覚として伝える点が魅力になっている。
書籍情報
- 出版社
- 河出書房新社
- 発売日
- 2020-12-01
- ページ数
- 400ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 14.1 x 3.3 x 19.8 cm
- ISBN-13
- 9784309208138
- ISBN-10
- 4309208134
- 価格
- 2313 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品
謎の牛乳配達人はテロリストなのか。国家独立をめぐるテロと性的抑圧を生きる18歳女性の不安と絶望を描いた傑作。ブッカー賞受賞。
1962年北アイルランド生まれ。87年よりロンドン在住。2001年『No Bones』でウィニフレッド・ホルビー賞受賞、ほかに、『Little Constructions』など。本作でブッカー賞受賞。 法政大学教授。専門はアメリカ文学・映画。おもな訳書にピンチョン『LAヴァイス』、オーツ『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』『ジャック・オブ・スペード』、マンロー『愛の深まり』など。
レビュー
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北アイルランド問題は終わっていない。
丁度この作品を読んでいる時に,1974年にティローン郡で起きた英軍兵士による無害なアイルランド人(27歳で発達障害があり、英軍兵士たちに恐怖心を抱いていた。)の高性能ライフル銃で背後から射殺されたと言う事件の裁判がベルファストで始まった所だった。 訴追された元兵士ももう80歳になっている。 地元の人たちは、こうした事案をトラブルズのレガシーと呼んでいるが、UKの現ジョンソン政権はこれ以上の退役軍人の訴追を避けたい為,幕引きを図ろうとしているが、味方の筈のプロテスタントからも、爆破テロ事件を起こしながら国境の南から更に大西洋の向こう側に逃亡してのうのうと暮らしている者がいることがあって、反発を買っている。 この作品は当時のカソリック側の労働者階級に属する若い女性の生活感覚を活写したものではあるが、政治状況とは切っても切りようがなく随所に当時の記憶を蘇らせる記述があって、その点でも興味深かった。例えば、主人公の母親や仲間の主婦たちがゴミ箱の蓋を叩いて、IRAのメンバーに英軍兵士やRUC(都時のh¥来たアイルランド警察)の急襲を知らせると言う描写がさりげなく織り込まれているが、実際のその音響の凄さは、ベルファスト71と言う映画のシーンにも出てきたが、今でも何かの抗議行動の時にたまにだがその伝達方法が象徴的にではあるが使われたりしているのだ。 1998年の和平合意の後、南北の国境が事実上無くなり、20年以上が過ぎて漸く平和が実感できるようになったのだが、愚かなジョンソンはその国境をまた閉じるぞとEUやアイルランド共和国に脅しをかけている。今、アイルランド島のの人たちの大多数が恐れているのはそのことだ。 著者の年齢からそうぞうすると、主人公の幼い妹たちがちょうど彼女位になるのだが、和平合意までもまだ20年以上あり、著者本人も主人公と同じような厳しい青春時代を過ごしたと思われ、死生観も独特のものを感じてしまう。
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18歳の女性が精神的に大人になっていく過程
ひょんなことから反体制組織の大物に目をつけられた18歳の女性が、社会と自分との関りに気付き、自我を捨てることなく、社会との接点を保つ術を学んでいく過程を描いた作品。 話しの筋は上記の通りなのだけれど、彼女が置かれている環境が半端ではない。 親の世代の価値観とのギャップや、大人として進むべき道への迷いなどのよくあるテーマだけでなく、反政府組織、国家、警察、宗教、国家の手先と認識される病院など、作者の生まれ育ったアイルランドで起こっていたアイルランド独立闘争を彷彿とさせる社会情勢が絡んでくる。 全ての住民が、体勢派なのか反体制派なのか、どの宗教に属するのかなどなど、様々な価値観に分類された社会。 主人公が語るように「政治的意見を持たない事は許されない」社会。 少しでも人と違ったことをすると「奇妙な人」として疎外され、場合によっては殺害されてしまう社会。 その社会で、自我を守るために外部との接触を遮断していた主人公に、反体制派の大物「ミルクマン」が興味を持ったことから、彼女は世間の注目を集めてしまい、日常が大きく変わっていってしまう。 世間と関わりたくない彼女が否応なしに、世間の注目を集め、事実無根の噂が噴出する。 その中で、彼女が何を学び、どう変わっていったのか。 主人公が自分で述べているように、18歳の至らなさから、当初は自分の感情をどう表現すれば良いのかが分からない。 そのためか、作品の最初の4分の一位は、話があちらこちらに飛び、少し読みにくいのだが、中盤に入る頃から、彼女の考察が深みを増し、読み手をぐいぐいと引っ張りだす。 そして最後には、自我を持ちつつも、社会との接点を保つ方法を見つけていく。 彼女が精神的に大人になっていく過程が、とても丁寧に描かれていると思う。 彼女の精神的成長に加えて、本作の大きな柱となっているのが「価値観のもろさ」だ。 実に様々な価値観が登場するのだが、そのどれもが、いとも簡単な理由でひっくり返されたり、化けの皮が剥がされたりしていく。 その様は痛快そのもので、読んでいて思わず噴き出してしまうシーンが何度もあった。 このあたりに、アイルランド出身の作者の鋭い観察眼が出ていると思う。 最初の4分の一(100ページ位)は読み進めるのが辛いと感じるかもしれないが、我慢して読んでみて欲しい。この作品の魅力は中盤以降に詰まっている。
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読むのがすごく大変でしたけど読めてよかった
アイルランドを舞台にしている小説ですが、とにかく分厚くて読み込むのに大変苦労しました。 自分たちの家族がいつなくなってしまってもおかしくないという状況のもとで、自分のアイデンティティを守ろうする主人公の心の繊細さが伝わってきました。 人と合わせるのは日本人特有なのかと思っていましたけど、この小説ではいかに周りに合わせて生きていくのか、処世術についてけっこう書かれていたので、人に合わせるのは日本人だけでなく、人間特有の習慣なんだなということを感じました。 今の日本とあまりにもおかれている状況が違うのでいろんな国の状況のことを理解するのにすごくよかったと思います。 じっくりと読める時間がある人にはおすすめですが、ちょっと読みこなすのが難しかったです。
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難解性が気になるが、「匿名性=普遍性」という高度な技巧を使って、現在の北アイルランド情勢を表象して見せた秀作
名前のない街に住む名前のないヒロインが、18歳の時に「ミルクマン」なる男の目に留まり、付き纏われて心身共に壊れそうになる約二ヶ月間の姿をヒロインの一人称で描いた作品。ヒロイン以外の殆どの登場人物も、例えば「義兄その1」と表記する等、匿名性を徹底しており、この匿名性が普遍性に繋がっている。普遍性とは謎の男に付き纏われる女性の恐怖・怒りでもあり、匿名の街の中での閉塞した人間関係でもある。穿ってみると、作者の故郷が北アイルランドのベルファストである事から、現在の北アイルランド情勢をなるべく普遍性を有して描いた作品とも言える(実際、それを仄めかす記述がある。例えば「海の向こう側」とはイギリス本島の事であろうし、「あっちの宗教」とはカトリックの事であろうし、「こっちの宗教」とはプロテスタントの事であろう。「この時代、この場所で政治的な問題は爆弾、銃、死、大けがを意味した」との一文もあり、「フィッシュ・アンド・チップス」という単語も出て来る)。 そして、記述内容を追って見ると、謎の男に付き纏われる女性の恐怖・怒りを中心に描くと言うよりは、(具体的な名称を出せないのでもどかしいが)名前のない街の政治情勢(ヒロインは反体制派らしい)、家族・結婚観、LGBTQ問題、厭世的感情、父親の鬱病、ヒロインに関する無責任な噂、ヒロインに毒を盛る"毒盛りガール"等の題材を散りばめているので、一見取り留めが無い。例えば、「犬の大量虐殺」とあれば「北アイルランド紛争で闘士が大量に戦死した」の暗喩だろう位の想像は付くが、少なくとも私には全てのトピックスを理解する事は出来なかった。読む人が読めば、実は生々しい訴えを潜ませた高度な作品だと評価するのかも知れないが。そして、「ミルクマン」はヒロインの敵というよりはアドバイザーの様な存在として描かれている。その「ミルクマン」は"国"に暗殺されるが、ヒロインの母親のかつての恋人だった事が明かされると共に、代々の「ミルクマン」が存在する事が示唆され、これは反体制活動が半永久的に続くという作者の見解を示しているのだろう(と思う)。 難解性が気になるが、「匿名性=普遍性」という高度な技巧を使って、現在の北アイルランド情勢を表象して見せた秀作だと思った。
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北アイルランドのごたごた
北アイルランド問題の知識があれば、より楽しめると思います。
関連する文学賞
- ブッカー賞 第50回(2018年) ・受賞
- オーウェル賞 第26回(2019年) ・受賞