世界・海外・国外の文学賞

← 受賞作品一覧に戻る
失われた時を求めて 3 第2篇 (光文社古典新訳文庫 Aフ 4-4)

ゴンクール賞

失われた時を求めて 3 第2篇 (光文社古典新訳文庫 Aフ 4-4)

Marcel Proust

『失われた時を求めて』第二篇にあたる『花咲く乙女たちのかげに』は、バルベックでの滞在を軸に、語り手が少年期の憧れから青年期の自己認識へ移っていく過程を描く。海辺の風景、スワン家の社交、エルスチールとの出会いが重なり、記憶と欲望、芸術へのまなざしが少しずつ形を取っていく。

青春記憶バルベック欲望芸術社交

作品情報

海辺の夏、社交のざわめき、記憶のゆらぎが、ひとりの青年の感受性を形づくる。

マルセル・プルーストの『花咲く乙女たちのかげに』は、『失われた時を求めて』の第二篇にあたる長編で、語り手が海辺の保養地バルベックでの滞在を通じて、感情と認識の輪郭を更新していく物語である。スワン家の社交、若い娘たちへの視線、画家エルスチールとの出会いが連なり、恋と芸術と記憶が互いに呼応しながら、成長の手触りを静かに立ち上げる。

レビュー要約

  • 読者は、バルベックでの滞在や青年期への移行を通して、記憶の細部を積み重ねる語りの精密さを高く評価している。一方で、ゆるやかな展開や長い迂回を、読みの難しさではなく作品の魅力として受け止める声も多い。

書籍情報

出版社
光文社
発売日
2013-03-12
ページ数
576ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784334752682
ISBN-10
4334752683
価格
1518 JPY
カテゴリ
本/文学・評論

花咲く乙女たちのかげに 1

レビュー

  • 恋情燦々

    語り手の心情が手に取るように感じられて、読み進むほどに苦しくさえなってくる。100年ほど前の作品ではあるけれどプルーストの作品の輝きは失われない。

  • 今度は、主人公とスワン家のジルベルトとの恋

    再び、小説は一人称で書かれ始める。「……スワンは見栄ばかり張って、ほとんど知らないくせに誰それとあきあいがあるなどと吹聴する下品な自惚れ屋だから、……」と主人公の父親が痛烈に批評するスワンの娘、ジルベルトとの恋物語がこの本の大きなテーマとなっている。 主人公の父は’私’に対して、ある期待を抱いていたのだが、’私’は次のように考えていた。「……父はずっと私が外交官になることを望んでいた。されど私は、たとえしばらくは本省勤務をすることになったとしても、いつかは大使としてジルベルトのいないどこかの国の首都に派遣されるかもしれないという考えに耐えられなかった。それよりも私は以前、ゲルマントのほうを散歩していて心に育み、結局は捨て去った文学者になる計画にどれだけ戻りたかったことだろう。……」 ところがスワンのオデットに対する物語と同様に、’私’とジルベルトとの物語も一直線に進むものではなかった。ジルベルトに対して、16ページにも及ぶ長い手紙を書いたり、抑制の利かない行動を取ったりする。そのジルベルトは、父であるスワンと、母親であるオデットの性格が交錯した人格であることが分かってくる。’私’は、ジルベルトに惹かれながら、自制しようとしたり、逆の心情になったり、と物語はどうなるのだろう、と読み手をドギマギさせる。 この本にも、読者の教養、知識を問うような話題が飛び出してくる。例えば、哲学者カントについて、「……あの方が『純粋理性批判』を究めたとは思いませんが、不愉快な方ではありません。」と、語られる。またベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲も、話題になっている。美術や文学については、枚挙にいとまがない。 一方で料理については、食材として、最高級のランプ肉の方形肉、牛のすね肉、仔牛の足などが登場し、料理の名手フランソワーズは、気難しい来客が手放しで称えるような手腕を発揮する。 プルーストの世界、これからどんな展開になるのだろうか。ところで、この後の高遠訳の出版予定はどうなっているのだろうか、興味深いところである。

  • 岩波版との読み比べにいい

    高遠先生はどう訳しているのだろうと気になり、岩波版と合わせて購入。やはり原文に忠実にとか、宣伝文句にあっても文学作品を映画化した場合の、監督の解釈で見ることを少なからず要求されるのと同じで、翻訳も訳される方の思考の癖みたいなものを感じます。最初は岩波版と同じペースで出版されていたのが、次第に遅れ今ではダブルスコアの既出版巻数になってしまって、本当の同時読み比べができなくなっているのが残念なところだけれども、それは出版社の都合で、作品そのものは素晴らしく仕上がっているので、星5つとしました。

  • グランド・ココットのこだわり

    同時期に新訳が並行的に出版されているというのは、読者にとってはなかなかどころか、相当に面白いことで、実に「楽しめる!」状況にある。この光文社古典新訳文庫とあの岩波文庫吉川訳だ、っていうことはもはや、周知の当然の流れ・・・・・・・ そもそもこの高遠訳が新訳としては先行していたところ、岩波が割って入ってきたというところが面白い。さらにこの高遠センセの「ココット=高級娼婦」と訳したところがこれまた面白くて、当然この第3巻目でも「高級娼婦」を続けている、これ当然。というより、「高級娼婦」に「ココット」とルビをつけるこのこだわり。個人的には、「粋筋の女」とする吉川訳よりは良くわかる・・・・・。 この第3巻は「解説」で、この「ココット=高級娼婦」とする一考察を相当ねちっこく、海外の関連原書まで引っ張り出して解説しているのが「ウリ」かも。 で、この第3巻の内容だけど、いやはや当時の有閑マダムの見栄の張りっぷり、英国かぶれのこのココット先生のおとぼけ、いやはや、なんともはや、で、とほほなのはこの「私」も同じこと。このなんとも如何ともしないはっきりしない女癖の悪さと、スワン家の娘ジルベルトの、これまたはっきりしない態度。この二人の痴話げんか前哨戦、いやはや もはや なんともはや・・・・

  • 社交界の秀逸な描写、自己愛的恋愛心理の分析、そして上質なエロチシズム

    (第2巻レビューに続く) 第3巻は「第2編 花咲く乙女たちのかげに」の「第1部 スワン夫人のまわりで」が収められている。 スワン夫人となったオデットのサロンを中心に据えつつ、主人公のジルベルトへの恋の成り行きが語られていく。 ここでも物語の筋よりも、そのディテールとして語られる思弁的考察や思いがけない比喩、さらには絵画や音楽の豊富な知識の援用が興味深く楽しめる。特に、19世紀後半から20世紀初頭のパリの社交界や風俗が詳細に描かれているのが目を引く。本書では詳細な注釈や図解で女性の服装や馬車の型などが示されており、読者の理解を助けてくれる。また、病気や薬品に関する詳細な医学的知識が随所に援用されているのが面白いが、これは主人公が幼いときから病弱で医師にかかることが多かったからであろうか。 しかし、なんといっても本書全体を通じて圧巻なのは恋愛心理の濃密な描写と分析である。 第1編では(第2巻レビューで書いたとおり)スタンダールの「結晶作用」をさらに拡大し膨張させたようなスワンのオデットへの恋が描かれたが、本書ではスワンとオデットの娘ジルベルトへの主人公の恋が、スワンの恋を再現するように描かれていく。両者の恋愛はいずれも成就する過程と喪失する過程が描かれるが、主人公の恋の場合には喪失する過程が自覚的に恋を断念する過程として描かれ、最終的には「ジルベルトを愛していた私の自我の、時間をかけた残酷な自殺行為」であったと総括される。ただし、これは恋愛する男女間の激しい葛藤としてではなく、あくまでも主人公の心理劇として一方的主観的に展開されていくのだ。その意味で、プルーストの恋愛論は自己愛的恋愛と言っていいのかもしれない。 ちなみに、本書でたびたび引用されるワーグナーの楽劇(「パルジファル」や「ローエングリン」など)の登場人物は、どれも肥大化した自我と激しい感情の持ち主ばかりであり、自己の感情を長大な台詞で語るのだが、スワンや主人公の心理描写もそれに通じるところがある。 このような濃密な恋愛心理描写の中に、実は上質なエロチシズムがちりばめられていて、読んでいてドキリとさせる。例えば、主人公がジルベルトと手紙の取り合いごっこをする次の場面。 ≪彼女は私にくすぐられたかのように笑い声を立てる。私は灌木によじ登ろうとするときのように、彼女の体を両脚で締めつけた。激しい運動のさなか、筋肉を動かし、遊びに夢中になったせいで息切れしそうになった私は、力を出したとき汗が数滴出るように、思わず快楽のしずくを漏らした。・・・ジルベルトが優しく言った、「あのね。もしよければだけど、もう少し続けてもいいのよ」≫ なお、本書にもボッティチェリなどの絵画の引用が多数あり、注で画像もつけてくれているのだが、kindle版では画像が横長になってしまう(iphoneの場合)。 引用された絵画の中で、メディチ家の人々を描いたベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画『東方三博士の行列』の中にパリの著名人も描かれているとスワンが言う場面にはクスッと笑ったが、この絵はフィレンツェのメディチ・リッカルディ宮殿内の礼拝堂にあり、近年見事に修復された。必見の価値がある。

関連する文学賞