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心の習慣―アメリカ個人主義のゆくえ

ロサンゼルス・タイムズ ブック賞

心の習慣―アメリカ個人主義のゆくえ

ロバート・N・ベラ

1980年代アメリカの個人主義と共同体の断絶を論じた社会学書。

社会学アメリカ社会個人主義共同体民主主義

作品情報

個人主義の習慣が、共同体のかたちを問い直す。

5人の著者による共同研究として、家族・宗教・民主主義・市民性を手がかりにアメリカ社会の価値観を分析する。現代アメリカを読む代表的な社会学的テクストとして読まれている。

書籍情報

出版社
みすず書房
発売日
1991-05-09
ページ数
440ページ
言語
日本語
ISBN-13
9784622037873
ISBN-10
4622037874
価格
6578 JPY
カテゴリ
本/社会・政治/社会学/社会学概論

〈個人主義〉はアメリカン・ライフスタイルの支柱である。 “独立独行”や“セルフ・ヘルプ”が彼らの美徳であり、カウボーイやハードボイルドの探偵など、 社会の悪と孤独に闘う〈自由〉のヒーローもそこから生まれた。 しかしいま、個人主義はミーイズムとほぼ同義語になり、この負の側面だけが“癌的な増殖”を続けているように見える。 大半の問題は個人の好みと選択の問題に還元され、人々は孤立化し、不安や孤独からセラピーに助けを求める。 〈個人〉と〈社会〉の関係を考えるための言葉は失われつつある…… 本書はビジネスマンやセラピストなど、アメリカ中産階級の人々200人余りにインタビューをし、 家族、仕事、宗教、地域活動などの具体的な物語を抽出する。 そしてそこに現われた人生観や願望を読み解き、彼らがアメリカの文化的伝統――共和主義と聖書と個人主義の系譜―― をどう継承しているか、どう失ったかを探る自己理解の書である。 〈心の習慣〉とは、フランスの社会哲学者ド・トクヴィルが名著『アメリカの民主主義』で用いた表現である。 本書は、この言葉を鍵に現代アメリカ文化を分析し、その深さと複雑さを理解させてくれるとともに、明日の日本にとって重要な問題を示唆するだろう。

ロバート・N・ベラー Robert N. Bellah 1927年オクラホマ州に生まれる。ハーヴァード大学卒業。同大学院でタルコット・パーソンズを師として社会学、極東言語学を専攻。ハーヴァード大学中近東研究センター研究員、ハーヴァード大学教授、カリフォルニア大学バークレー校の社会学の教授を歴任。 著書に『社会変革と宗教倫理』(河合秀和訳、1973)『宗教と社会科学のあいだ』(葛西実・小林正佳訳、1974)『破られた契約』(松本滋・中川徹子訳、1983、いずれも未來社)『徳川時代の宗教』(池田昭訳、1996、岩波文庫)などのほか、本書と同じメンバーによる共著『善い社会――道徳的エコロジーの制度論』(中村圭志訳、2000、みすず書房)がある。

レビュー

  • 古典的な名著ですね。

    アメリカの20世紀初頭からの、思想的な流れも概観できて、良いですね。

  • 大変良心的な出品者に感謝。

    この商品は、出品者のコメント通りで、大変満足しています。じっくり読まさせてもらいます。ありがとうございました。テルテル

  • 手だれの翻訳陣により、さらなる良作となった

    今年の9月末、来日したベラー氏の講演会(global civil societyの構築をテーマ)にいってきました。 アメリカのある世代のリベラリズムを体現しているベラー氏。 ちょっと理想主義がすぎるのではないかな、とも思いながらも、 氏の自信たっぷりかつ希望を忘れない口ぶりに、「この人には理想や希望を語ってもらわねばならないんだ、そうだった」と思い直しました。 1920年代生まれの氏、口ぶり滑らかで、声量もたっぷり。最近大作を上梓したとあって、熱気に溢れていました。 * 本書「心の習慣」は、個人主義に埋没するアメリカ人(中産階級)とそれによって体現されるアメリカ社会を良しとしない著者らによる、強烈な問題意識が反映された「問題作」です。 個人主義といえばアメリカでしょ、というのはある種創られた伝統です、と彼らは言う。 それよりも、聖書的な伝統や公共的な伝統もまた根強かったでしょ、と彼らは指摘する。 なのに、個人主義ばかり突出して信奉するようになったのは、それが経済合理主義とすこぶる相性が良かったから。 事実、アメリカの繁栄は両者が結合してもたられされたし、その点はポジティブに捉えられるでしょう。 でも、他人のことは関係なし、コミュニティとかも埒外におく、といった空虚な個人主義者が増えるだけでいいのだろうかと著者らは問う。 そして実際、個人主義を信奉するアメリカ人とて、どこか寂しがってるじゃないか。「おれの生き方、これでいいのかなぁ」と。 その人たちは安易にセラピストに飛びつくけれど、個人が自己を癒すために自己の物語を振り返り、救済を求めるだけでは、社会には全然開かれていかないと、著者らはセラピー文化にも厳しい。 突き詰めて言えば、大部な本書で著者らは、(これは評者による言い方ですが)コミュニティに埋め込まれた個人主義を提唱します。 日本に育った評者からすると、キリスト教(プロテスタントやカトリック問わず)に根ざした社会活動の強靭さにはやはり瞠目すべきものがありました。 もちろん、日本で育った評者は宗教的活動の「良心」に慣れていないため、ややそれを信頼しすぎる著者らの知的態度には違和感が残りました。 が、反論や批判すべき点も含め、この著作とは「格闘」する意義があると確信します。 同時に、本書が大学の教室で今日まで読み継がれる理由がわかった気もしました。 当然ながら、日本でもまた長らく「コミュニティ崩壊」が叫ばれていますから、本書のテーゼから示唆されるところは大きいはずです。 しかも、訳文がすこぶるいい。 みすず書房から刊行ということで、ごく一般の読者にはややハードルが高いものと移るでしょう。値段もまた(笑 けれど、この訳文の通読性の水準は、忙しい社会人がふと電車や布団で読もうと思っても、十分についていける心地よさです。評者はそう思います。 トクヴィルによる警鐘を自らの胸に抱えながら、リースマンの「孤独な群集」を受け継ぐアメリカ社会論。 「価値」を忘れない社会科学者らによる、強烈な問題意識に裏打ちされた、程よく優しい刺激が本書からは香ります。 3.11後に矢継ぎ早に発刊されたスカスカの社会論・文化論に食傷気味になったら、社会分析の新古典に立ち戻るのも一案だと思います。 決して無駄にはならない刺激だと思いますから。

  • 注意(Care)の危機は、民主主義の危機である。

    ベラーたちは、たくさんのアメリカ人へのインタビューから「個人主義」という「心の習慣」を見い出す。そして、この「個人主義」が、功利主義的な個人主義と、表現主義的な個人主義の2つ(の相互作用)からなるという。 功利主義的個人主義とは、この世はゲーム、勝てばいいんだ、という外向きの個人主義。表現主義的個人主義とは、要は「自分さがし」、内向きの個人主義。アメリカ人は人生を、このふたつの個人主義のコトバで語る。たとえば、いっさいが自分にとっての損得計算であるように、あるいは自己の内側から「涌き出た」もののように語る。 この二つの個人主義の結託が、原則的自由主義と競争社会を支えてる。また個人主義が「ウィナー・テイク・オール」的な、あるいは「オール・オア・ナッシング」的な傾向の元にもなっていている。 自己救済や独立独歩のレトリックはもっともらしく、しかも美しく聞こえる。けれども、それは「個人主義」という心の習慣がイメージするようなものではない。市場経済でメジャーなプレイヤーは大抵は自由競争をかなり回避できる(そして回避できた分だけ儲けてる)。一方で、回避しきれない有象無象の、無数の、つまりは無名のプレイヤーたちが、たとえば最低賃金でファストフード店で働く。 みんなが挑戦し努力すれば世の中よくなるというの考えの裏で、結局のところ弱者が切り落とされ、救われた者たちも生活に激しい負担を抱える。非適応組はいうにおよばず、適応組の中産階級においても、突然の解雇や地域の環境の悪化など、様々なストレスにさらされている。 時間的なゆとりを失った家庭においては、子供や女性に皺寄せが行く。経済中心主義はCare(世話=注意)の危機を招く。こうした注意力散漫は社会全般に蔓延しており、これが民主的な社会を掘り崩す深刻な要因となるとベラーは見ている。 この本の続編『善い社会』で、ベラーたちは結論の章に、「民主主義とは注意を払うことである」タイトルをつけている。

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