JR上野駅公園口 (河出文庫)
福島県相馬郡に生まれた労働者カズは、東京オリンピックを前に上京し、上野で働き、やがて上野公園の片隅で暮らすようになる。死後も駅と公園をさまよう彼の記憶を通して、家族の喪失、貧困、災害、天皇制と都市の繁栄の影が静かに重ねられていく。
作品情報
上野駅の雑踏に残されたひとりの死者の声が、日本の戦後と見えない貧困を照らし出す。
『JR上野駅公園口』は、上野公園をさまよう死者カズの声で語られる短い長編小説である。高度経済成長、東京オリンピック、出稼ぎ労働、家族の死、東日本大震災後の記憶が、駅や公園で聞こえる会話と交錯し、華やかな都市の表面からこぼれ落ちた人びとの生を照らす。柳美里は、社会の周縁に置かれた存在を感傷に閉じ込めず、場所に刻まれた歴史と個人の痛みを重ねて描いている。
レビュー要約
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抒情的で断片的な語りが、個人史と国家の歴史を結びつける点が高く評価されている。序盤の抽象性は読者を選ぶが、家族との離別や貧困へ至る過程が見えてくるにつれ、悲哀と焦点が強まる。
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静かで瞑想的な筆致が、上野公園の現在と主人公の過去を往還させる構成を支えている。社会から押し出された人物への共感と、失われたつながりへの痛みが印象に残る。
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幽霊譚としての曖昧さを保ちながら、貧富の断絶と都市の無関心を浮かび上がらせる点が読まれている。詩的な余白と重層的な記憶が、単純な社会小説に収まらない読後感を生んでいる。
書籍情報
- 出版社
- 河出書房新社
- 発売日
- 2017-02-07
- ページ数
- 184ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 10.5 x 1.1 x 14.9 cm
- ISBN-13
- 9784309415086
- ISBN-10
- 4309415083
- 価格
- 1 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/日本文学
一九三三年、私は「天皇」と同じ日に生まれた――東京オリンピックの前年、出稼ぎのため上野駅に降り立った男の壮絶な生涯を通じ描かれる、日本の光と闇……居場所を失くしたすべての人へ贈る物語。解説=原武史 【全米図書賞・翻訳文学部門 受賞作】
1968年生まれ。高校中退後「東京キッドブラザース」に入団。役者、演出助手を経て、86年演劇ユニット「青春五月党」を結成。 93年『魚の祭』で岸田戯曲賞、97年『家族シネマ』で芥川賞を受賞。著書多数。
レビュー
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耳で「読む」物語
この小説は、上野公園でホームレスとして生き、死んだ男が主人公ではあるが、ホームレスの話ではない。 天皇と同じ年に生まれ、また長男が皇太子と同じ日に生まれたから浩一と名付け、 原ノ町駅では「天皇万歳」と叫び、特別清掃「山狩り」に翻弄されるが、天皇の話でもない。 この小説は、ひとは誰しも独りでは生きることができない、という 古今東西の名作がテーマとしてきたことが描かれている。 ホームレスとなった男に、シゲちゃんという物知りのホームレスが、上野公園の成り立ち、 東京大空襲、西郷隆盛と彰義隊、いろいろなことを教えてくれる。 (猫のエミール(ルソー!)を田中正造になぞらえるシーンは、笑いがこみ上げました) ところどころに差し込まれる通行人による声、 重要なモチーフになっている浄土真宗の経文を読み上げる声、 ラジオから流れてくるアナウンサーや政治家の声、 声という声、音という音が、この小説からは溢れだしてくる。 こんなにも聴覚を刺激される小説は初めて読みました。 ラストシーンでは、東日本大震災が起こる。津波の描写が胸に迫る。原発事故は描かれていない。 警戒区域を中心に、放射能汚染ばかりが注目される東日本大震災ではあるが、 津波による被害が忘れられがちになっている今こそ、改めて読んで良かったと思う。 読み終わった後、そっと目を閉じてみる。 すると、聞いたことのない相馬弁が、ありありと浮かんでくる小説です。 公式ブログの「あとがき」が公開されていたので以下、引用しておきます。 http://blog.goo.ne.jp/yu_miri/e/cacf46e952e8f3b6df63ad66bdeb6770 この小説を構想しはじめたのは、12年前のことです。 2006年に、ホームレスの方々のあいだで「山狩り」と呼ばれる、行幸啓直前に行われる「特別清掃」の取材を行いました。 「山狩り」実施の日時の告知は、ホームレスの方々のブルーシートの「コヤ」に直接貼り紙を貼るという方法のみで、早くても実施1週間前、2日前の時もあるということで、東京在住の友人に頼んで上野公園に通ってもらい、貼り紙の情報を送ってもらいました。 上野恩賜公園近くのビジネスホテルに宿泊し、ホームレスの方々が「コヤ」を畳みはじめる午前7時から、公園に戻る5時までのあいだ、彼らの足跡を追いました。 真冬の激しい雨の日で、想像の何倍も辛い一日でした。 「山狩り」の取材は、3回行いました。 彼らと話をして歩き、集団就職や出稼ぎで上京してきた東北出身者が多い、ということを知りました。彼らの話に相槌を打ったり質問をしたりしていると――、70代の男性が、わたしとのあいだの空間に、両手で三角と直線を描きました。 「あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」と言われました。 彼が描いたのは、屋根と壁――、家でした。 その後、8年の歳月が過ぎ、わたしはこの作品のことを気に掛けながら、5冊の小説と2冊のノンフィクションと2冊の対談集を出版しました。 2011年3月11日に東日本大震災が起きました。 3月12日に東京電力福島第一原子力発電所1号機が水素爆発、14日に3号機が水素爆発、15日に4号機が爆発しました。 わたしは、原発から半径20キロ圏内の地域が「警戒区域」として閉ざされた4月22日の前日から原発周辺地域に通いはじめました。 2012年3月16日からは、福島県南相馬市役所内にある臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」で、毎週金曜日「ふたりとひとり」という30分番組のパーソナリティを務めています。 南相馬在住・南相馬出身・南相馬に縁がある「ふたり」と話をするという内容です。 2月7日現在で、第94回まで放送されたので、200人以上(ゲストが3人以上の時もあるので)の方々とお話をしたことになります。 放送とは別に、南相馬市内(主に鹿島区)にある仮設住宅の集会所を訪ね、お年寄りのお話を聞きに行くこともあります。 この地に原発を誘致する以前は、一家の父親や息子たちが出稼ぎに行かなければ生計が成り立たない貧しい家庭が多かった、という話を何度も耳にしました。 家を津波で流されたり、「警戒区域」内に家があるために避難生活を余儀なくされている方々の痛苦と、出稼ぎで郷里を離れているうちに帰るべき家を失くしてしまったホームレスの方々の痛苦がわたしの中で相対し、二者の痛苦を繋げる蝶番のような小説を書きたい、――と思いました。 それから、南相馬と鎌倉の自宅を往き来するあいだに、上野公園近くのホテルに泊まるようになりました。 上野公園は、わたしが最初に「山狩り」の取材をした2006年から比べると、劇的にきれいになり、ホームレスの方々は限られたエリアに追いやられていました。 昨年、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決定しました。 先日、東京五輪の経済効果が20兆円、120万人の雇用を生むと発表されました。宿泊・体育施設の建設や、道路などの基盤整備の前倒しが挙げられ、ハイビジョンTVなどの高性能電気機器の購入や、スポーツ用品の購入などで国民の貯蓄が消費に回され景気が上向きになるとも予想されています。 一方で、五輪特需が首都圏に集中し、資材高騰や人手不足で東北沿岸部の復旧・復興の遅れが深刻化するのではないかという懸念も報じられています。 オリンピック関連の土木工事には、震災と原発事故で家や職を失った一家の父親や息子たちも従事するのではないかと思います。 多くの人々が、希望のレンズを通して6年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます。 「感動」や「熱狂」の後先を――。 2014年2月7日
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一読の要アリ。
面白かったです。
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その人の人生を最期で説いてはいけない
せめて最後に希望が見たかった。でも人生は思い通りにいかない、最愛の人との突然の別れ、自然災害、自分ではコントロールできない何かに人生を動かされてしまう事がある、それが人生、そういった希望でもなく再生でもなく明るい未来だけじゃない事実が込められている作品なのだと思う。 読んでいて正直とても苦しかった。 でも最後読み終わり、本の余韻の中で思い出したのは、住職の「人間の一番悪い癖は、どうしても死に際を考えてしまう。良い死に方だったか、悪い死に方だったかを、遺された我々が考えてしまう。(一部省略)だから死に際を説いてはいけません。」 こんなにもたくさんの失望、悲しみを背負う主人公に最後希望を見てほしかったと思うけれど、そう思うのは世の中に綺麗事を求めてしまう自分自身の傲慢なのかもしれないと思った。主人公の周りには愛する人、主人公を想ってくれる娘孫がいたのは事実だから。
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「臣民」の一生
【高校年代のため影の教師が薦めるべき逸品】 私は東京に生まれ、中学の途中から宮城県に移り住み、その頃から主人公の出身地のあたりの雰囲気は、なんとなく、私には分かる。 年齢にかんしては、ほぼ私の父と同じであり、出身地がかなりの田舎である、ということも彼らは似ている。 そういう訳で、私は本書を読むこと自体には特段の困難を覚えなかった。ただし、著者特有のオノマトペを許容しかねる読者は居るだろうけれども。 固有名について、読んで理解するためにガイダンスを得る必要がある読者は多いだろう。だからこそ、高校世代に本書を読んで欲しい。読書会で扱うにはふさわしい、田舎趣味溢れる、社会派かつ情緒的な、長すぎない作品である。 【編集担当様への讃辞】 南相馬に通いつめ(けっきょく、定住する事にもなるのだが)相双の地に愛着を覚えた柳美里氏が、すっかり「東北の皇国の臣民おんつぁんのビジネス脳」で一気に書き抜いていることに恐れ入る… と言いたいところだが、これが少しずつ、編集担当さんにメールして、丁寧に積み上げてゴールに至ったというから、なんとも苦しいことも疲れることもおありだっただろう。つくづく伴奏者の存在は偉大である。 【柳美里という作家の力】 作者により、よく想像され、よく取材され、よく祈られ、出版社スタッフによりよく編まれて、この書は成り立った。とくに、都市部出身であり民族、国籍の立場においてマージナルな作者、主人公の子供世代である作者であればこそ、主人公を通じて日本語原著の読者に、ひいては翻訳版の読者に、「戦後の日本人にはこういう生き方もあった」という範型を呈示する事ができている。 【主人公に対する小生の思慕】 私の父は、それは深い田舎の出身である。幼小時は、主人公とは比べものにならないほどの苦労をしたらしい。むしろ、原町、鹿島、小高の賑やかなお祭り、集落ごとの信仰の存続というものは、転勤族の子という私の視点からも羨ましく思える。 しかし、私の父は一家で上京してから、一気に生活が上向いた。父の生家は大工だったが、土地を捨てて都会で仕事と教育を手に入れた。 私も中学二年からは、作中にも扱われる百貨店があるとおりの、大き目の都市、仙台に育った。(主人公の時代には、いわき市や福島市などより仙台市が近かった。南相馬市から福島市に数十分で行けるようになったのは2019年である。) 私の中学時代から30年前を想像すると、中卒で漁業権や田畑を持たないかたが相双で食っていくのがどれほど困難だったか、なんとか想像できる。 2020年、今年ようやく、南相馬市から上野方面へ鉄道で直接行けるように、原子力発電所事故からの復興が進んだ。 私は通勤の途上、時折その特急を見つめて、私自身の生まれ故郷に思いを馳せる。そして、かつての終着駅だった上野駅に。
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良かった
南相馬市小高区在住の女性作家柳美里さんの小説が読めて良かった。
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うーむ
父に言われ新聞に出た柳美里さんの作品で購入しました。 まあまあでした。
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読みづらく、テーマがわかりにくかった
この小説が面白かったかつまらなかったかと問われれば、つまらなかったと答えるでしょう。面白さを感じるほど内容を理解できなかっただけかもしれませんが。 一人称で語られる主人公が、生活の困窮からホームレスをやっているのではない点がもっともわかりにくく、「山狩り」と呼ばれる皇族の行幸・行啓時に行われるホームレスの一掃の事実などに対しても、そのことが読者が感情移入することの妨げになっていると感じました。 また小説の中で唐突に相馬・双葉地区の真宗移民の話が出てきて何のことかわからず戸惑ったのですが、少し調べた内容をざっと書くと、どうやら江戸時代に北陸地方からこの地方に真宗を信仰する人々が集団で移民した歴史があるようです。そのことはその当時の日本の貧しい農村などで普通に行われていた「間引き(子殺し)」にも関係し、北陸地方には間引きの悪習がなかったため、天明の大飢饉で荒廃したこのあたりの土地に、真宗門徒の人たちを誘致したというようなことのようです。Web上で「真宗移民」で検索すれば、もう少し詳しい内容がわかると思います。 巻末の解説を読むと、この小説は現在も続いている天皇の持つ権力が大きなテーマであるように解説されていますが、少し視点を狭く限定しすぎているようにも思いました。確かに米国で翻訳本の中でとりわけ興味を持たれて評価された点も、その点であった可能性は感じますが、天皇制というものに焦点を絞っただけの小説でもない気がします。あまりこの本を評価していない私が言うのもおかしいですが。
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なまらいい本だよ。それを買わなければならない!