逃亡派 (EXLIBRIS)
『逃亡派』は、旅、移動、身体、保存、死をめぐる断章が連なったオルガ・トカルチュクの実験的長篇。空港やホテル、解剖標本、ショパンの心臓、行方不明者の物語などが交差し、移動し続けることが人間の記憶と存在をどう変えるかを多声的に探る。
作品情報
移動する身体と保存される身体の間で、人はどこに自分の居場所を見つけるのか。
ポーランド語原題は『Bieguni』。日本語版『逃亡派』は白水社エクス・リブリスから刊行された。短い観察、エッセイ的断章、歴史上の逸話、奇妙な旅の物語がモザイクのように配置され、動き続ける者と保存しようとする者の欲望が照らし合う。トカルチュクの越境的な想像力を代表する作品。
レビュー要約
-
断章形式の自由さと、移動をめぐる哲学的な思考が評価されている。物語の輪郭は固定されないが、人体や歴史の具体的な細部が作品に強い手触りを与えている。
書籍情報
- 出版社
- 白水社
- 発売日
- 2014-02-25
- ページ数
- 416ページ
- 言語
- 日本語
- サイズ
- 18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- ISBN-13
- 9784560090329
- ISBN-10
- 4560090327
- 価格
- 2181 JPY
- カテゴリ
- 本/文学・評論/文芸作品/その他の外国文学
【ノーベル文学賞受賞!】 わたし/人体/世界へ向かって──116の〈旅〉のエピソードが編み上がる、探求と発見のめくるめく物語。『昼の家、夜の家』の作家が到達した斬新な「紀行文学」。ポーランドで最も権威ある文学賞《ニケ賞》受賞作。 「ひょっとして、このときフィリップ・フェルヘイエンは、偶然、秘密の秩序をみつけてしまったのかもしれなかった。われわれの身体のなかには、全世界が、神話が隠されているのかもしれない。(中略)もしかしたらその名を与えられたとき、身体はその名の持ち主と、おなじ動きを課せられるのかもしれない。つまり、たとえばアルテミスの筋肉や、アテナの大動脈や、ヘーファイトスの槌骨や砧骨や、メルクリウスの螺旋器という名を与えられたときに。」(「アキレス腱」より) 「世界が西も東もなく自由に旅し尽くされたように思えても、人にはまだ、自己という探求の対象がある。「わたし」という目的地みずからが、ここにいるから探してくれるようにとひそかに名乗りをあげている。」(「訳者あとがき」より) 「ブラウ博士の旅 I・II」: 人体の神秘に魅せられ、解剖標本の保存を研究するブラウ博士は、学会へ向かう途中、著名な解剖学者の未亡人から招待を受ける。亡き教授の仕事部屋には、驚くべき標本が残されていた。 「切断された脚への手紙」: 若き日に出会ったスピノザを師と仰ぐフィリップ・フェルヘイエンは、ふとした怪我がもとで左脚を失っていた。優れた解剖学者となった彼は、あるとき、ないはずの脚に痛みを覚えるようになる。 「逃亡派」: アンヌシュカは、難病の息子を抱えてモスクワに暮らしている。週に一度の外出で教会から帰る途中、地下鉄の出口で、たえず足ぶみしながら何かをつぶやく、奇妙ないでたちの女に出会う。 「ショパンの心臓」: パリで没した作曲家ショパンは、自分の心臓を愛する祖国に埋葬してほしいと遺言を残した。姉ルドヴィカは、独立の機運が高まるポーランドへ向けて、弟の心臓を携え、冬の平原を馬車で渡っていく。 前作『昼の家、夜の家』が日本でも好評を得たポーランドの人気作家による新たな代表作。現代の〈紀行文学〉として本国で高く評価され、2008年、ポーランドでもっとも権威ある文学賞《ニケ賞》を受賞した。 本書には、形態も目的地もさまざまな「旅」が登場し、架空の、あるいは歴史への旅に読者を誘う。タイトルの「逃亡派」とは、ロシア正教のあるセクト、もしくはその信者を指す。本書の執筆中、モスクワ旅行の機会を得た作家は、同行した宗教学者の話からこのセクトの存在を知る。放浪を唯一の正しい生き方とする彼らの教えに共鳴し、これこそが作品のコンセプトを象徴すると考えた彼女は、すぐにタイトルに決めたという。 クロアチアへ家族旅行に出かけるが、妻子が失踪してしまうポーランド人男性。アキレス腱の発見者である17世紀の解剖学者の生涯。弟の心臓を祖国ポーランドに葬るため、パリから馬車で運んでいくショパンの姉ルドヴィカの物語……エッセイ風の一人称の語りと交じり合うようにして、時代も人物もさまざまな三人称の物語が、断片的に、あるいは交互に綴られていく。詩的イメージに満ちためくるめくエピソードの連鎖に、読者はまったく新しい「旅」を体験するだろう。 [原題]BIEGUNI
オルガ・トカルチュク 1962年、ポーランド西部、ドイツ国境に程近いルブシュ県スレフフに生まれる。ワルシャワ大学で心理学を専攻、卒業後はセラピストとして研鑽を積む。93年、Podróż ludzi Księgi(『本の人々の旅』)でデビュー、ポーランド出版協会新人賞受賞。96年、第三作Prawiek i inne czasy(『プラヴィエク村とそのほかの時代』)がポーランドで最も権威ある文学賞ニケ賞の最終候補作となる。文学を専門とする自身の出版社Ruta(ルタ)をヴァウブジフに設立(2003年まで)、以降執筆に専念する。98年、第四作『昼の家、夜の家』(白水社)でニケ賞にふたたびノミネートされ、英訳版(House of Day, House of Night)は2003年度国際IMPACダブリン文学賞の最終候補となった。2007年に本書『逃亡派』を刊行。四度目のノミネートで2008年度ニケ賞を受賞した。最新作は、Księgi Jakubowe(『ヤクプの書物』、2014年)。エッセイストとしても高い評価を得ている。ヴロツワフ在住。 訳者:小椋 彩(おぐら ひかる) 北海道大学文学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。2001〜02年ワルシャワ大学東洋学研究所日本学科講師。東京大学大学院研究員等を経て、現在、東洋大学文学部日本文学文化学科助教。 専門はロシア文学、ポーランド文学。訳書に、O・トカルチュク『昼の家、夜の家』(白水社)
レビュー
-
言葉の宝庫
ワンセンテンスごとに心にしみる言葉。「流動、移動、錯覚。文明化されているということ、こういうこと。」
-
<旅と移動>を続けながら自己探求する姿を万華鏡を想わせる116の断章で描いた圧倒的な傑作
「私はここにいる」という真実を原点(デカルトの様だが)にして<旅と移動>を続けながら自己探求する姿を116の断章で描いた作品。この手の小説にありがちな幻想味はなく、合理性・日常性・懐疑主義・諧謔が全編を貫いている。そこで、各断章(必ずしも作者の一人称ではない)は日常の子細な事や寓話を綴っているのだが、その中で絶え間なく形而上学的問いを発している(「同じ川の水には二度と浸る事はない」と鴨長明「方丈記」風の記述には驚いた)。複数の物語を幾つかの断章に別けて並行して語っているのも特徴。 決して衒学趣味ではないが(でもボルヘス風)、各断章中では生理学、神学、解剖学、生物学、量子力学、時空論、世界・時間の意味論、幾何学などがさりげなく登場し、作者の資質を良く表している。作者の考える世界の最も単純な座標軸とはセックスと宗教、肉と霊、生理学と神学らしい。また、趣旨から明らかな通り、出発地と目的地があった時、作者はその間の<移動>を重視しており、列車、船、飛行機、地図(挿絵付き)などが多く題材となっている。懐疑主義も色濃く、冒頭で<真実>と書いた事を別の箇所では<神秘>と書いたりして、読む者を惑わせる。万華鏡を想わせる各断章の中で、特に印象深い断章としては、解剖趣味と猟奇趣味と諧謔とが横溢した「ブラウ博士の旅Ⅰ・Ⅱ」、義足の若い医師が若い女性を解剖・ミイラ化する「弟子であり...」とその続章「切断された脚への手紙」、地獄が出現した世界での思想統制を描いた表題作、透明人間願望の女性がフライト中に不思議な体験をする「神の国」、亡くなったショパンの心臓を(取り出して)姉が祖国へと運ぶ「ショパンの心臓」辺りか。 解剖・標本に纏わる断章が目立つのは、「私は何を探しているのか?」という作者の自己問い掛け(あるいは<不死>)と関連しているのだろう。作者の自己探求の<旅>は終わっていない様なので、続篇にも期待したい。
-
「旅」と「偶然」がテーマ。「昼の家、夜の家」と合わせて読みたい
一見バラバラな物語の中に「旅」と「偶然」というテーマが流れる。作者の自伝的な冒頭での宣言から始まり、「旅行心理学」と題する小話で読み方のようなエピソードがあり、誰でも表面上の意味だけでなく、暗喩された意味に少し触れられる仕組みになっているところが面白い。(これは作者の他の作品にも共通する。) 他の作品もそうであるが、理性でとらえた世界より、偶然生じた出来事やそこでの心境・考え方の変化に惹かれる構図になっている。言葉遊びも楽しい(例えば、スピノザ、ジャンポール(サルトル)といった名前がそれぞれの哲学を視野に入れていることを暗喩するなど)。 一度読んだ後で、他の作品を読むとどうなるだろうか、この作者の作品に共通する楽しみとして真の意図を推理する楽しみがあると感じた。
-
パラレル展開する「移動」エッセイ
ポーランドの女性作家オルガ・トカルチュクの2008年度ニケ賞受賞作。 前作「昼の家、夜の家」と同様、100以上のエッセイともとれるような断片的な短編から構成されている。 本作のテーマはずばり「旅」。老若男女様々な人物が登場し、場所も時間もバラバラのエピソードが並行して進んでいく。一見それらに関連性は見受けられない。だが暗に唯一共通しているのが、全員が何かしらの手段で「移動」していること。旅行先で妻子が失踪してしまう男性、移動の象徴である空港での様々な出逢い、外国で亡くなり祖国に運ばれるショパンの心臓…。 さらに、それは単純に物理的な移動に限ることではない。戻ることのできない過去への焦燥を反芻することによる心理的移動。失った左脚にまつわる感覚の移動。人類の進化や歴史に伴う時間的移動。本書に収められた事物すべてが、次元を越えてバラバラに移動しているのである。 また、旅行心理学と解剖学について執着的に細かく著しているのも興味深い。前者は地球上というマクロ的学問、後者は人体の奥底というミクロ的学問だが、それを同列で扱うことで地球上の裏側に行くことと毛細血管を研究することは「紀行」という点で本質的に同じであることを表している。この哲学的な思想を小難しく考えさせず、サラッと小文にまとめているのが素晴らしい。 女性らしい詩的な表現が多く、比喩表現も想像力豊か。日本語訳も非常に流麗である。 感情移入をするような類の小説ではないが、何気ない文章の中で、時にハッとするような一文が紛れており、それを楽しみに最後まで読んでしまうような作品である。
-
世界の旅と知的な旅の相互作用!
何とも不思議な小説だ。自由自在な知的想像力の飛翔である。それは世界の究極的真理を求める旅ではなく、知的関心の向くままに拡散する。『逃亡派』という書名も政治小説であるかのような印象を読者に与えるが、全く異なる。本書7頁「頭のなかの世界」では、「あらゆる危険をさしひいても、いつだって動いているなにかは、止まっているなにかよりすばらしい。変化は恒常よりも〈高潔〉だ。動かずにいれば、崩れること、退歩すること、塵となることを避けられない。けれども動いているものは、永遠に動きつづけることもありえる。このとき以来、川はピンになって、わたしのなかの、安全で動かない景色を突き刺した。…子どもの世界は、空気の抜けたゴムのおもちゃに変わった。」この一節が著者の小説を書く動機となったことを表現している。この文はA→Bという変化を意味するのではない。「場所」の移動を意味するのである。空気の抜けたおもちゃに空気を入れてまたそのおもちゃを使って遊ぶのではない。その役に立たなくなったおもちゃを捨てて、別な何かを探し求めるために移動するのである。その体験の原点は、両親がキャンピングカーに乗って色々な旅(場所の移動)をしてきたことに求められる。現実の旅と知的な旅が相まって、著者を高潔な人間へと向かわせた。この「高潔な」という形容詞は、独特な味わいを醸し出す。 本書には10葉ほどの図が挿入されている。最初の図はドイツ語で「川の長さー最も重要な比較的外観」と題した世界の最も長い川の流路を示している。この図ではミズーリ川が最長である。「川がピンになって動かない景色を突き刺す」という表現から考えてみると、川が長ければ長い程、移動への衝動の強さを表している。この図は移動の意義を表す為に掲載されているのであろうか?少なくとも世界の大河の長さを比較する知的関心を満たす為に掲載されたものではない。 こういうふうに、図の意味を本文と照合しながら著者の意図を考察するのは本書を読む喜びのひとつである。著者の知的関心の飛翔については本書を味読して欲しい。ノーベル賞に相応しい世界文学作品である。 訳文が読みやすく、味わい深いのも本書を面白くするのに貢献している。 お勧めの一冊だ。